人生の学び

 

 

Ⅰカ月ぶりにネット友とスカイプをした。

この友人とはときどき、他愛のないおしゃべりをする。

他愛がないといっても似たような価値観を持っているので

あっという間に時間が過ぎてしまう。

 

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彼女とは、昨年の今ごろあるSNSで知り合い

こちらのブログを訪問してくれたことからお互いの関心が深まり

また関東での絵画展を見に来てくれたことがきっかけでより新密度が増した。

 

彼女はいま「仏教書」を読んでいるという。

「すごく気持ちが落ち着くのよね」と、言うとおり

仏教書の類は哲学に通じていて人生の指南書のような感がある。

2500年も前に説かれた寓話が現代にも充分通用し

生きて行くうえでの知恵が満載だ。

 

わたしも結婚してから、関連のジャンルに関心を持ち

人間の懊悩や哲学と言ったことに惹かれ、貪るように読んだ。

気持ちが閉塞状態のときや、内省したいとき

この手の内容はずっしり心に響く。

 

わたしは夫が若くして病に伏し、子育て真っ最中のころに

現実逃避に似た自身の性格を変えたいと願ったことが

心理学の勉強を始めたきっかけになった。

 

嫁ぎ先の本棚には仏教書や心理学やカウンセリング関連の書籍が

並んでおり、大正生まれの姑がそれらに関心を持っていたと訊く。

 

吸い取り紙のようにそれらを読み干すと

「プロの心理カウンセラー養成講座」を受講すべく試験を受けた。

 

このころすでに義父母は他界していた。

 

初期のワークショップや4年間のカリキュラムと

ファシリテーター経験などを経て、有資格者となったわけだが、

一番有意義だったのは、違う年代層の方の生き方や

人生観に触れ、赤子をくるむように励まされたことが大きい。

 

あの4年間の学びが「いま」のわたしを形成している。

ボランティアに生かそうと思っていたことが己の

生き方に大きな影響を与え、役に立っていると感じる。

 

前述の彼女がいま、仏教書で心の平安を得ようとしているのは、

過去の自身の離婚による心の痛手が癒えていないからともいえる。

子育てが一段落したころ成人した子どもの了解を得て、婚家先を出ている。

 

その後再婚して数十年を経ていま、彼女は佳き夫に恵まれ

平穏に暮らしている。

けれど「最初の結婚をまっとうできなかった」ことが

自分自身の人間的な未熟さを露呈しているように思え

心をさいなむようなのだ。

 

人が結婚し、子をもうけ、一生添い遂げられることは

しあわせなことには違いない。

しかし、生身の人間である。

誰にでも言えることだが、順風満帆というわけにはいかない。

 

夫婦間に問題がなくても諸々因はある。

齟齬が生じれば地獄と化し、そのストレスたるや

自らの精神とからだを蝕みかねない。

 

何かを決断し、生き方を選択するというのは勇気と大きな痛みを伴う。

 

真面目で何事にも真摯に捉える彼女の性向から、かつてを

さいなむ気持ちが理解できそうな気もする。

 

彼女にとってかつての結婚や離婚は、まだ終わりではなく

その懊悩を自ら分析し、これからの生き方の拠りどころとして

いるように、わたしには思える。

 

年を重ねると、ものごとが深く洞察できるようになる。

「見える」と言ったほうが適切か。

とにかく、ここまで生きてこないとわからないと

いうこともある。

 

わたし自身、恥じ入ること多しで、還暦を過ぎた

今ごろになって「来しかた」を思い、悔いばかりが鮮明に蘇り

厚顔無恥に小さくなる自分を感じる。

 

人間幾つになっても向上心は持ちたい。

自らを磨きたい。

学びの場はどこにでも転がっている。

 

スカイプでの彼女とのおしゃべりが、思わぬところで

自らの心象を覗くこととなった。