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人間関係の温度差

生き方・人

 

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ひとは、過去の経験則に依り、自分のモノサシで相手を見る傾向がある。

わたしも例外ではない。

自分がこう考えているから、相手も同じ・・・だとは、決して

言えないのだが、時々期待してしまうところがある。

 

そのたびにますます熱くなったり、逆に頭から冷水をぶっかけられたりで

内心、戸惑うことが少なくない。

もちろん、熱くなることは歓迎だ。

その逆もまた、それぞれの価値観があり、仕方ないのかなぁと思ったりする。

 

先月、作品展を開催したことで、久しく無沙汰をしていた知人・友人との

再会を果たし、嬉しい余韻が残っている。

そのなかのひとり、Y子さんとは30年来の旧いつきあいだが

めったに会うことはない。

12年に一度会うと、お尻に根が生えたみたいに

話に夢中になり、席を温めてしまう間柄だ。

 

そのY子さんがある日の閉館間際に訪れてくれ

しばし、密度の濃い時間を共にした。

 

彼女は、わたしより一回り年長の今も現役の心の専門家である。

聴き上手で、相手の心をしっかり掴むということには

さすがに長けていて、長いつきあいのなかで

どれほど彼女に救われたかわからない。

 

彼女もまた年齢の差など関係なくひとりの友として

こちらを遇してくれていることが嬉しい。

話し出すと時間の経過を忘れるほどの会話のリレーションに

お互いが納得し合い、満たされる感がある。

 

彼女は若いころに婦人科系統の病気で全摘術を行い

また近年、数回の脳梗塞を起こすなどしているが

それらを克服しながら「いま」を充実させた生き方をしている。

 

生老病死に関して自らも深く関知して、人一倍感受性が

鋭いせいか、彼女の発するひと言、ひと言には深みがありズシンと胸に迫る。

人間的にもますます円熟味を増し、魅力的である。

 

一方では最近、少し相手との温度差を感じている人もある。

具体的な記述は控えるが前述したように、人にはそれぞれの価値観があり

それを受け入れるしかないのだという思いもある。

 

こちらが相手に対し、心配や熱い思いを抱いていても

そのことに呼応してくれるとは限らない。

いや、ひょっとして通じていても、こちらが思うほど相手には

さほど重要ではなく、つきあいの優先度に、また

温度差があるのだということを感じざるを得ない。

 

「ひとの口に戸は建てられない」ごとく、人間の感情もそのひとのものであり

本人が意図した行動である限り、それは致し方ないことなのだ。

 

ブログの本文やコメントのなかでは、「相手を傷つけていやしないか」と

絶えず気にかけてはいるが、己の気づかないところで

やっているのかもしれない。

 

現実社会やブログのみならず、人間関係のなかでは

ある程度の距離を持つことが必要だと思えるし

そうしてきたが、時に予期せぬことに遭遇し悩むことになる。

 

YES、NOがはっきりして、シロクロをつけたがるわが性格と、

一見、真綿のように優しさを滲ませている人には温度差があって当然か。

 

さまざま人間のおもしろさを、垣間見た。

「温度差」、よく聞くキーワードだがそのことを強く感じている。