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認知症800万人?

 

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飽きもせず、毎日同じ朝食^^

 

今年、厚生労働省の研究班は認知症高齢者が推定462万人、

予備軍を含めると800万人に上ると発表し、24日の「NHKスペシャル」では

「“助けて”と言えない 孤立する認知症高齢者」を報じていた。

 

番組によると、高齢者が3000万人を超え、介護施設に入れず、

居場所を転々とせざるを得ない“漂流老人”が、深刻な社会問題と

して注目されている、という。

 

『さらに「一人暮らし」で「認知症」を患う高齢者の急増で

「助けて」と、SOSを発することもできず、周囲も気づくことができない。

徘徊やゴミ屋敷などによって顕在化しても、すでに認知症が悪化し

意思が確認できないため、介護サービスにつなげることもできない。

 

番組では、連日通報が寄せられる「地域包括支援センター」に密着。

ごく当たり前の人生を送ってきた高齢者が、

救いの手が差し伸べられないまま放置され、“漂流”していく実態を追う。』

という内容だった。

 

そんなに多いの?と言う気持ちと、年を経るとはそういうことか・・・と

見終えて、暗澹たる気持ちになった。

 

 しかし「ごく当たり前の人生を送ってきた高齢者が、救いの手が

差し伸べられないまま放置され、“漂流”していく実態を追う」に

関しては少し疑問に思う。

 

「当り前の人生を送って来た人」が、認知症など、誰でも

なるかもしれないと危惧する一方で、ならないひともいるわけで

「発症する人と発症しないひと」の違いは

どこにあるのだろうか、と考えてしまう。

 

かのイギリスのサッチャー首相や、アメリカのレーガン大統領が

任務終了時ごろから発症のきざしがあったことを思うと

認知症は、一層の恐怖を感じる。

 

認知症発症の遠因としては、ストレスが大きく左右し、ガンなどと同じく

運動不足、食生活、生活習慣などが問われている。

その差は、こうした日常の食を含む生活習慣を

若いころから意識して生きて来たか否かにかかっているともいえる。

 

誰でも病気にはなりたくない。

死するまで元気でいたいと願う。

子どもの世話にもできるだけなりたくないと思いながら

健康に留意していても意に沿うとは限らない現実もある。

 

国は在宅支援にシフトさせ、際限なく膨れ上がる莫大な経費と

人員を、地域のNPOや自治体にその任を負わせるというが

どこまで面倒をみられるというのか。

 

また、最期まで施設に入らずに自宅で過ごしたいという願いは

治療の過程で寸断され、住み慣れた家屋も撤去されるなどの

人生の終焉が待っているのも酷である。

 

子どもや縁戚がいてもそれぞれが自分のことで精いっぱいで

老いた親の面倒をみるのも、かつての時代ほど多くはない。

「核家族」の副産物がいま顕著に出ている時代だ。

 

高齢化が進み、認知症は他人事ではないだけに

一人ひとりが、自らの生活スタイルを見直し国や自治体の

支援に頼らない生き方をするにはどうしたら?と考える。

 

わたしの見聞きした範囲での認知症の方の背景には

衣食住に関する自立を他人任せにしている人が多いように感じる。

例えば息子夫婦と同居して、食事を作らなくなった姑とか

コンビニなどの弁当などで、簡便に済ませている独り暮らしの

老齢男女も含まれる。

 

それぞれ事情もありやむを得ない環境もあるが、できるだけ自分の

からだや脳を使うほうが退化に歯止めがかかるのではないか。

 

作家の佐藤愛子や、曽野綾子、そして宮尾登美子などは

80代の高齢で、現役であるにも関わらず「食べること、作ること」は、

人任せにしないという共通した認識を持っている。

 

要するに人間が生きて行く上での基本的なことを大事にしているのである。

 

自分の口にあうものを自分で作る・・・

特に料理は最高の頭脳労働だそうだ。

「当たり前に」人生をおくっているようで、生活の基本的なことを

ときどき、おざなりにしているわが身を反省する。

 

認知症予備軍の800万人の仲間入りはしたくないと

今日の「ひと口」、「一歩」を神妙に捉えているわたしである。