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ひとりが好き。

生き方・人

 

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師走も半ばに入った。

クリスマスソングが耳をくすぐり、迎春準備に購買欲をそそる。

スーパーも買い物客でごったがえすという雰囲気でもなく、

ひところのような季節感は薄くなったと感じる。

 

年末年始となれば、どう過ごすか・・・

誰しも楽しい思いを巡らすことだろう。

帰省客を迎えたり、娘や息子たち夫婦と杯を交わし、

よもやま話しに耽るなど非日常の空間が繰り広げられるのだろうか。

 

わたしは、大げさに言うと「生まれて初めて」ひとりで

除夜の鐘を聴くことになり、元旦を迎えることになりそうだ。

 

2日は毎年恒例の息子夫婦の家で娘家族と一緒に

馳走をよばれることになっている。

わが家で彼らを迎えてもいいのだが、娘が、年に一度お兄ちゃんの

所へ行きたいそうなのだ。

わが家へはしょっちゅう来ているし、珍しいのだろう。

娘より若い息子の嫁はフルタイムで仕事をしている身なのに

快く受け入れてくれ、チビたちへのみやげや心づくしの宴を用意してくれる。

ありがたいと思い、年に一度のことだから、甘えることにしている。

 

一日は、それぞれわが家でじっくり新年の屠蘇を味わい

ゆったりとした時間を持つのもいい。

 

夫が逝き、子どもたちが独立したあと新しい人生を

歩むべく、週末や年末年始を一緒に過ごす御仁も

いないわけではなかったが、最近そのことにも幕を引いた。

 

長過ぎた春という言葉もあるようにサイコンに関しては

「旬」のようなものもあり、時期をみているあいだに

意気消沈してしまったというべきか。

ともあれ、「ひとり」を選択したのだ。

その選択が正解だったのかどうかは、まだわからない。

 

年齢を重ねると、人に合わせる、というのがだんだん億劫になる。

わがままで気性のはっきりしているわたしは、特にその傾向が

強く「ひとり時間」というのを大切に思うようになった。

 

だからと言ってすべてを拒否しているわけではない。

物事を捉えたり考えたりするときに「複眼」で見るなど、

同性ではない人間と会話する必要性も感じる。

ひとりイコール孤独ではないのだ。

 

思えば夫が生前中の大晦日には、おせち料理の残ったもの(重箱に入りきれない)

タタキゴボウや、お煮しめ、黒豆などを肴にワインを傾け紅白を見ながら

去る年を慈しんだものである。

もちろん、このようなほんわかとした歳の終わりだけではなく

新年早々、夫の容態の急変で救急車の世話になることも少なくなかった。

 

 

もっと翻って義父母が健在で同居していたときは、近くに住む

義姉家族が二組、年末からやってきて仕事が始まる4日ごろまで一緒に過ごした。

呑めや歌えやの、世話は義母と嫁のわたしの役割である。

恐ろしいほどの賑やかさと、ゆっくりおせちを味わう暇もない

慌ただしさの中で正月が過ぎていった感がある。

一年で一番憂いのあるイヤなときだった。

 

盆や正月というとあの忙しさが「トラウマ」のように長いあいだ

心を支配して、「ひとりの時間」というものに憧れたものだ。

 

いま、ようやくその黄金の時間を手に入れ

気ままなひとりを愉しもうと策を練っている。

 

子どもたちからも離脱した「個」の空間・・・

悪くはない。