読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

反面教師じゃないよ。

f:id:mursakisikibu:20131226090914j:plain

 今年わが家に咲いたクリスマスローズ

 

「ここやねん!」

娘が指さすのは駅に隣接している、ある教室だ。

孫の7歳が、4歳ごろから通っている。

からだを烈しく動かすことも好きでサッカー教室なるところにも

喜んで行ってるが、静かに文字を書くことにも

幼いながら興味を示すとは意外だ。

 

娘宅から大人の足で15分はかかる距離を

小学生ともなれば自転車で行けないことはない。

近所の子どもたちはひとりで通っていると言う。

だが娘は、道中何が起こるか心配だから車で送迎しているらしい。

 

「確かに危ないなぁ・・・まだひとりでは無理やねぇ」

「親がついて行った方がいいなぁ」送り迎えに理解を示すと・・・

「そやけど、わたしは小さいころ、そんなに大事にしてもらってなかったわ」と

思わぬところで娘の逆襲に合う。

 

やれやれ・・・

江戸の仇を長崎で・・・の気分だ。

何かにつけ、孫のことに目を細める母親に、わが身の幼いころを

比較して刃を突き付けられているように感じ、少し肩身が狭い。

今さら、だが・・・しかし・・・

心のなかで反芻しながらまた弁明する。

 

娘に言われるまでもなく、今の7歳や4歳の孫と

わが息子、娘の似たような時期には、

彼らの父親の病気発症で、親は子育てところではなかった。

30代の働き盛りで闘病生活に突入、生活は一変した。

 

お稽古ごとの送り迎えどころか、幼稚園の送迎でさえままならない。

私立の幼稚園がちょうど家の裏にあり、畑の畔道を

通って帰るから、さほどの心配はないのだが、園で採れる

カボチャやジャガイモなどを引きずりながら

帰宅する4歳児もちょっと可愛そうな気もしたが仕方がない。

 

母親のわたしは病院へ、毎日往復2時間かけて通う。

実家の母に来てもらい子どもたちの面倒をみてもらうなどしたが、

夏休みには、小学校にあがったばかりの息子と幼稚園児の娘二人だけで

飛行機に乗せ、郷里に送り届けたものである。

そのまま、1か月ほどを子どもたちだけで滞在させた。

 

いま思えば子どもたちも、親の事情を察し文句一つ言わず

寂しがりもせず、よく従ったものである。

もちろん実家の兄嫁や母の労力も大変だったことだろう。

こんなことを毎年のように繰り返していた。

 

当時のANAやJALなどきめ細かいサービスをしてくれ

安心して飛行機に乗せたものであるが

今もそのような制度があるのか否か。

 

「お兄ちゃんとわたしだけで、よく飛行機に乗ったね」

「いまのジュン(7)や、かえで(4)に同じことができるかなぁ」

「わたしは、ようさせんなぁ~~」と半ばあきれ、半ば感慨深げに言う。

 

そりゃぁそうだろう。

誰しも子どもは、親の手でしっかり守り片時も離したくないものである。

孫がいまだに我が家に、親と一緒でないと泊れないほど

ひ弱な?子に育ったのをみると、べったり育児に、娘の

親に対する反面教師を思わぬこともない。

 

しかし一方で、別宅(病院)と本宅(わが家)の往復暮らしの父親とは

世の働き盛りの父親より密度の濃い父子関係であったと思える。

料理好きな父親は具合のいいとき、娘や息子の誕生日に

ランチさながらの可愛いメニューと焼き立てケーキで

彼らの友達を招いた。

病弱ではあっても自慢できる父親だったようである。

 

たくましいおっかさんは外へ、芝かり(働き)に行き

子どもたちはいつの間にか成人した。

 

ときどき娘はそれでも孫に甘い親に、

自らの幼少時を比較し突き付ける。

 

「反面教師やね」わたしが言うと、

「いや、そんなことはない。ちゃんと育ててくれて感謝してる」と

付け足してはくれるが、果たしてどうだろう。

 

親は生きることに精一杯だったとは言え

チクリ、チクリと贖罪を感じるこのごろである。