傘屋と下駄屋

元旦は、除夜の鐘を合図にワイン片手にグラスを傾ける。
朝には、どの家もそうであるように
屠蘇で祝い、雑煮(わが家はすまし)とおせち料理に進む。



わたしは食卓のワインの瓶をみて、思う。
『まだこんなに残っている!』
『もうこれだけしか残っていない』と。


そんななか「傘屋と下駄屋」という昔話を思い出すのである。
あるところに茶店があり、ひとりの婆様が切り盛りしていた。
その婆様はいつも空を見ては浮かない顔で、雨が降れば
「ああ、きょうは雨か」とため息をつき、
晴れれば「きょうは晴れか」と暗い顔をする。


ある人が、いったいどうしたのかとわけをたずねた。
「上の息子は町へ出て傘屋に、下の息子は下駄屋になった。
晴れれば傘が売れずに長男が困り、雨の日は下駄が売れずに
次男が困ると思い、それでいつも苦しいとのこと。


それを聞いた人は「それなら、考えを変えればよい。
『晴れの日は下駄屋が儲かってけっこうなこと。
雨の日は傘屋が儲かってけっこうなことだ』だと。


そこで婆様は、自分が悪い方ばかりを見て
生きてきたことに気が付き、それ以降は、
良い方を見て明るく考えるようにしたため、
ずっと笑顔で過ごすようになったとのことである。


今は仕事を引いた身のため世間との関わりが少なく、
視野は狭窄状態となり、年を重ねるに従って
考え方が硬直化して悲観的になってきている。
それでも社会の一員として、また人生の成熟期を生きてゆく
あらゆる場面で、物事をどのように捉えて
対処するかが問われてくる。



そうした折に、マスコミが伝えるニュースは、
「日本の財政赤字は巨大化して……」
「このままでは、年金の支払いは不可能に….」
少子化対策に打つ手なし……..」
原発を止めれば計画停電に….」
など、明日からは太陽が昇らないような話ばかりである。


また新内閣に望むことは、とマイクを向けられた人々は、
「景気を良くして欲しい」
「早く仮設住宅から出たい」
「復興対策を加速して…..」
「保育所を建てて」
「就職先が欲しい」
など、すべてが「……して欲しい」である。


さらに驚くことには、就活中の大学生が「確かな年金の確立を」と
いう有様である。
悲観的になる気持ちもわからないではないが、
そこには、『国に頼らずに生きる』という気概は、見られない。


日本には265年間の江戸時代という
秩序のあった為政下で育成された、国民性と文化がある。
さらに明治の開国から今日までの145年間に先人が
国造りと近代化のために養い、蓄積してきた富と技術は
世界で比類なものがある。


今日の日本が世界で一位の債権国家であることは知られてない。
また日本の財政赤字が1000兆円を超えたと喧伝されているが
金融資産が約500兆円、固定資産が約600兆円あることは、
国民に伏せられている。


『瓶には半分も残っている』のであり、
『晴れて良し、降って良し』なのであり
真実を見て、建設的に生きていく知恵と習慣が必要とされる。
下駄屋と傘屋の寓話は、まことに正鵠を射ていると、新年に思う。