歳暮の不思議

もう30年以上も前の話になる。
結婚したころ、婚家先は小さな事業を営んでいた。
夫は家業を継ぐ気はなく勤め人である。



昨年描いた梅、再登場

義父母と同居していた家には、取引業者から毎年、歳暮が届く。
畳3畳ほどのタタキをあがると、本間の4,5畳間が続いており
その部屋に文字どおり、山のように届けモノが積み上げられる。

1匹ものの荒巻鮭、醤油やサラダ油、ハム、石鹸、菓子類など
その数や半端ではない。
そのころは今のように核家族ではなかったから捌けるのも早い。
もちろん従業員などにも持って帰ってもらう。
近くに住む義姉や実姉など、もうそれを当てにしていたぐらいだ。

そうした歳暮が当たり前のようだった生活も、義父母の他界や
夫の病を得て廃業し、家族は水入らずの生活となった。
歳暮など今や、贈ることも贈られることとも無縁となり
かつての「山」が懐かしく感じられる。

そうしたなか、近年の少ない歳暮の中に異端?物がある。
知人から贈られる「産直モノ」である。
産地直送は、当然現地で作られそのまま注文に応じて宅配される。
生ものや珍味など、都会生活では味わえないおいしさが魅力で
それがけっこう楽しみであったりする。
もっとも最近は地産地消でなくとも、いつでも手に入るが
やっぱりワクワクするというものだ。

ところがこの異端?なモノは、期待に反して
ちっともおいしくないのである。
本当にマズイのだ・・・。
わが家では誰も手をつけず、いつも娘や息子宅に廻してみるが
果たして彼らも食べ切れたかどうか、聞くのも勇気がいる。

贈り主は心をこめて送ってくださっているはずだ。
とてもうれしくありがたいと思っている。
けれど贈り主には申し訳ないが
やっぱり、おいしくないものは、おいしくない・・・。

はて、どうしたものか。
「贈り物は不要だから」と、はっきりと相手に伝えた方がいいのか。

わたしが思うに、贈り主はこの現状を知らないのではあるまいか。
理由はいくつか挙げられる。

①大枚をはたき、業者を信じて発送を依頼する。

ところが依頼された業者はどうせ知れることもないと思い、
利益をむさぼり注文と異なる粗悪品を発送する不届き者か。
こうした事はあってはならないことだけれど、あり得る?かナ。

②贈り主は最初から味のことなど眼中になく注文をしている。

③ 贈り主が極端な楽天家なのか。

この想像が当たっているか否かはわからないが
毎年、感謝はしているものの、複雑な思いで荷を解くわたしである。
贈り主の気分を害さぬよう、じんわり伝える方法はないものだろうか。

まことに思案するお歳暮である。
ロンドン・ベーカー街のシャーロク・ホームズさんに
相談してみようかしらん?