お弁当、昨今事情

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地下鉄を上がると、そこにはコンビニがある。

通勤途上のビジネスマンたちは、女性も含め

吸い込まれるように、早朝のコンビニに流れていく。

そして目指すは、弁当売り場である。

ひと足でも早く着かないと希望の弁当にありつけない。

ずらりと並んだ弁当の陳列棚はあっというまに、品薄になる。

 

始業時間が似ているせいで、争うように弁当を求めるひとの列ができる。

 

寿司やサンドイッチ、幕の内や丼ものなど、今や昼食弁当、何でもあり!だ。

夏など、ざるそばや冷麺や冷サラダなども大人気で

同じような弁当とお茶を入れた袋を提げたビジネスマンたちが、

それぞれのビルのなかに消えていく。

 

このような「昼食を買う習慣」の彼らを横目で見ながら

最後の奉公先である「公に準ずる職場」にわたしは、数年いた。

最初こそ驚きの連続だったが、当然のように皆がお茶や弁当を買うさまに

だんだん違和感が薄れていったがわたしは、

めったに利用することはなかった。

第一、添加物てんこ盛りの弁当なんて気持ち悪くて

あげると言われても要らない、と感じる。

 

おまけにどんどん格安になると、素材は何を使っているか

わかったものではない。

 

コンビニの弁当に限らず、官庁街の周辺には

昼どきになると軽自動車で弁当を売りに来る業者が競うように路上にあふれる。

 

お茶付きⅠ個300円代というのが主流になって来た。

昼休みになると、ビルの中から湧き出るように人が出てきて弁当を求める。

わたしも一度か2度、銀行など所用の帰りに買ったことがある。

種類も多く見た目もおいしそうなのだが、不味い!

工場で大量生産されたのを冷凍保存して解凍したような味である。

ほとんど残した。

悪いけれど口に合わないのだ。

「安物買いのゼニ失い」を実感するのは、こんなときである。

 

お弁当は作るものではなく「買う」という習慣が世に

定着し出したのは、いつごろからだろうか。

 

もちろん、わたしにも若いころ、まったく経験がなかったとは言えない。

パンを買うなど多少あったが、貧乏なわが家では「買う」より

「作る方が経済的でおいしい」という観念が強く

前日の夕食の残り物をアレンジして持って行くことが多かった。

子どもたちの弁当作りも同じだ。

見栄えが良くなかろうと、簡素であっても家で作るものは

食材からして、安心である。

 

世のサラリーマン諸氏が、コンビニで当り前のように列をなし、

できあいの昼食を買うのを見ると、悲しくなってくる。

昨今、企業も社員食堂を維持していく余裕がないし

喫茶店やレストランなどで昼食を摂るのは贅沢な時代なのかも知れない。

 

コンビニ弁当は若い世代のみならず、独り暮らしのひとやシニア世代に

まで幅広く利用されるようになり、便利さでは群を抜いている。

しかし、コンビニ弁当にひそむ危険な添加物を

どれだけの人が認識しているだろうか。

 

廃棄処分される弁当を養豚業者が買い取り、豚の飼料に

していたのは、ずいぶん前の話だが結果、奇形が

生まれたり、病死する豚が後を絶たないことからコンビニの

弁当は家畜の餌からも撤退することになった。

 

そんな弁当を人間が毎日、何の疑問も抱かず

食している現実は、考えるだに恐ろしい。

ブログ仲間の森下礼さんも「化粧するご飯~」

コンビニ弁当に警鐘を促している。

日本人の脳がどんどん汚染される感がある。

 

せめてわが口に入るモノぐらい、少し早く起きて用意したらどうだろうかと

現役を退いたヒマなお節介オバサンは憂えるのだ。

 

追記・お礼

過日の記事「餅と母」が週刊はてなブログお題「年末年始」にトピックされました。

皆さまのおかげです、お礼を申し上げます^^