「私がぬかづくのは、美しいもののみにございます」

映画「利休にたずねよ」のワンシーンである。

このひと言が秀吉の逆鱗に触れた。

 

 

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茶人・千利休市川海老蔵)は織田信長に茶頭として仕え、

後に天下統一を果たした豊臣秀吉からも寵愛を受け、

“天下一の宗匠”として賞賛される。

しかし、独自の美意識を貫き、いかなる権力にも屈しない姿勢に

業を煮やした秀吉から切腹を命じられてしまう。

 

雷とどろく雨嵐の日、3000人の兵が取り囲むなか、最期のときを迎える。

1畳半の茶室でまさに命を絶とうとする瞬間

妻は「自分以外の想い人がいたのではないか?」と

夫に抱いていた疑念をぶつける。

その言葉を受けた利休は、その問いに応えず10代から

今日に至るまでの波瀾万丈な道のりを思い出していく。

 

茶人利休にとって命を賭すほどの「美しさ」とは?

想い人とは?

 

利休は、若いころ遊郭で放蕩の限りを尽くしていたころ

高麗からさらわれてきた、李王朝の女に一目で心を奪われ彼女を殺してしまう。

海辺の寂れた小屋でのひとときの逢瀬が

彼の一生に感化を与え、美意識にいっそうの拍車がかかる。

 

山本兼一原作 田中光敏監督のこの映画は、小津安二郎

彷彿させるほど、丁寧で典雅な画面が流れていく。

利休扮する市川海老蔵に対して、遊び人風の軽薄なイメージを

抱いていたわたしは、役が重たすぎるのではないかと

失礼ながら思っていた。

 

しかし、映画をみて素人の懸念は吹き飛んだ!

さすがに歌舞伎界の王子、膝を打つしかない。

その見事なまでの所作に見とれ、適役だなぁと思い直した。

 

実際、海老蔵は役作りのためにお茶を3カ月ほど習い、

特訓したのだというから、磨きがかかるはずだ。

 

利休が願ってやまない「美しさ」を、海老蔵自身の個性で

しっかり演じきっているのではないかと感じた。

一つひとつの所作の見事なこと!

 

茶杓で茶の粉を器に入れる、茶筅で茶を立てる、柄杓で器に湯を注ぐなど

それらの動きが、本当に美しい。

背筋を伸ばした凛々しい姿、たおやかな指先に思わず視線が熱くなる。

瞬間、瞬間が1枚の絵画のようだ。

どんな往年の俳優を持ってしても、これほど優美にできないのではないか。

 

利休が使っていた本物の茶器も登場したというから

なおのこと引き締まる思いがある。

もっとも、観ているこちらにはどれがその本物の器だったのか

わからず仕舞いだったけれど・・・。

 

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極限の美の追求の結果、自らの命を縮めた利休の生き方に賛否あるだろう。

映画を観ての帰り道、その生き方にため息をつきつつ

優雅な立ち居振る舞いを思い出していた。

一服の清涼剤のような感覚だ。