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故郷は遠きにありて

 

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なにが贅沢かというと、これほどの贅沢もないような気がする。

もっとも子どものころは、まったくそんなことに頓着していなかった。

大人になり結婚し、子育てを終え、人生の終盤に差し掛かるころ

いま、しみじみと思うこと・・・

 

 取り立てて、大したことではないのかも知れない。

しかし、いまのわたしには大したことのようにも思える。

 

 ず~っと幼いころから、家で摘んだお茶を飲んでいたことだ。

 

 わが家だけではなく、ほとんどの家々が茶を住居の周りに植えており

初夏になると、子どもも茶摘みに刈りだされたものである。

毛虫にかぶれ、陽に焼けるなど、決して嬉しくもない作業を

今ごろになって懐かしく思うのは年を経たせいか。

 

 摘んだ新芽は緑の匂いをぷんぷんさせ、揉みしだき、

庭先に敷いたゴザの上で乾燥させる。

そしていつのころからか、近所の製茶所に持って行くようになった。

たいがいの家には製茶機などなかったので、所有している処に

依頼していたのだろう。

 

 出来上がった新茶は緑の濃い、葉揃いで、何とも言えない香りを醸していた。

子ども心にも、おいしいもんだなぁと感じたものである。

 

 周囲を山に囲まれ寒暖の差が激しいこの盆地に

お茶の栽培は向いていたのかどうか・・・

取り立てて地場産業が発展していなかったこの地も

今や「100g1500円」の茶は当り前の、高価な

ブランドにまで成長している。

 

 当時、小学校でも(最近はどうか知らないが)茶畑を所有していて

似たような時期に、やはり児童が茶摘みに刈りだされた。

今なら子どもに労働させるなんて!と父兄のやり玉に

挙げられそうなことが、当り前にできていた時代である。

 

 摘んだ茶は、給食の紅茶になって登場してきた。

亜麻色のかぐわしい色と香りを伴って。

昨今のセイロン産の紅茶と違い、素朴で甘い味がした。

 

 結婚して郷里を離れた娘宅に、母はせっせと

出来立てのお茶を毎年送ってくれていたのに

感謝の念も、あるかなきかの親不幸娘である。

 

 故郷は遠きにありて思うもの。

 

だが、慈しむ父母も、もういない。

高級なブランドと化したお茶を思うとき

やはり母の節くれだった手を懐かしむ。

 

ひょうたん顔をした男が「どげんかせんといかん!」と

掻きまわした地である。

 

 

今週のお題「僕の住む街・私の地元」