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かわうそ

読書から

 

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『指先から煙草が落ちたのは、月曜の夕方だった。

宅次は縁側に腰かけて庭を眺めながら煙草を吸い

妻の厚子は座敷で洗濯ものをたたみながら

いつもの話を蒸し返していたときである

 

向田邦子の著書「思い出トランプ」のなかに収められている

かわうそ」の、書き出しである。

 

指先の煙草・・・が、のちに重要な意味を持つのだが

妻の『西瓜の種子みたいに小さいが黒光りのする目が、自分の趣向を面白がって

踊っているのを見ると、宅次は煙草のことを言いだすのが億劫になる

 

指先の煙草を落としてから1週間目に、宅次は脳卒中で倒れる。

 

気立ても良く、調子も良く、明朗で可愛いと見えていた女房が

押し売りなどが来ると、夫の職業を押し売りの業種に見せ、追い払うなど

罪のないうそを役立てる。

 

 

夫はそのような厚子に対し良く出来た妻だと思う一方で、

何かに似ていると思う。

デパートで見た、かわうそだ。

 

かわうそ」を、わたしも見たことがない。

ラッコに似た可愛い動物らしい。

 

『左右に離れた黒い小さな目が、油断なく動き、厚かましいが憎めない。

ずるそうだが目の放せない愛嬌があった。

ひとりでに身体がはしゃいでしまい、生きて動いていることが

面白くて嬉しくてたまらない」』

と、いうところが厚子と似ていると言う。『梅原か劉生だったかの絵に「獺祭図」があったのを思い出す。

画面いっぱいに旧式の牛乳瓶、花、茶碗、食べかけの果物、

首をしめられぐったりした鳥が卓上、ところ狭しと並んでいる。

かわうそのお祭りだと言う。

かわうそは、いたずら好きである。

食べるためでなく、ただ獲物をとる面白さだけで

たくさんの魚を殺すことがある。

殺した魚をならべて、たのしむ習性があるということで

数多くのものをならべて見せることを獺祭というらしい。

 

火事も葬式も、夫の病気も、厚子にとっては、からだのはしゃく

お祭りなのである 

 

向田邦子のこの描写・・・

恐ろしいほど突いている。

自分の妻をかわうそに見立てるなど、普通はできない。

かわうそには悪いけれど、妻の人間性が凝縮されているように感じる。

 

 ひょうきんで憎めない、かわうそに似た妻に、たっぷり裏切られるのだ。

 

夫が倒れたあと妻は「夏蜜柑」の胸の和服姿で出かける。

会う相手によって和服の胸元が違うのを夫は感じる。

ひとり娘を肺炎で亡くしたとき、夫は出張中であり

妻に緊急の往診をと伝えていたのに死なせた。

医者は頭を畳にすりつけんばかりに謝罪したが・・・

しかし・・・

妻は、往診の電話を一日遅らせていたのだ。

このことを知ったときの宅次の驚愕。

 

15、6年ぶりぐらいに「思い出トランプ」を読み返した。

若い時にはさほど感じなかった、妻への心情と、

するどい観察眼に一段と、圧倒される。

 

向田邦子の小説は、淡々と日常のありふれた生活の一端を

ていねいに描写し、平穏に物語が終わるかなぁと思うころ

大きなどんでん返しがあり、度肝を抜く。

最後にオチがあるのである。

 

『日常のうらで苔のように裏打ちされて見えてきたもうひとりの女に

気づいてゆく夫の心象が主題だ』と、解説で水上勉が述べているのもなるほど、と思う。

何べん読んでも比喩の意外性にも、新鮮さを感じる。