私が大切にしたいもの

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『いったい何が楽しくて生きているのですかと驚く人がいるが

べつに楽しさを求めて生きているわけではないから

「人生は苦しいものだと思っているから」、

今は特に問題にするような苦労がないことに感謝している。

 

高級料理でなくても(自分で調理した)自分の口に合ったものを食べ

豪華でなくても優しい肌触りのものを着、好きな時間に風呂に入って

ベッドに入る。寝たいだけ寝る。

私が大切にしたいのはそれだけである

 

 

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佐藤愛子「上機嫌の本」エッセイからの引用だ。

とっても好きだ。

いまのわたしの心情にぴったり。

 

すべてにおいて、まったく同感だ!

 

誰かに気兼ねしたり、束縛されることなく

自由に時間を繰れることこそ、最高の悦びに感じる。

 

好きな時に寝たいだけ、寝る。

なんていい響きだろう!

 

かといって朝寝坊するわけではなく

アホのひとつ覚えのように習慣化された生活のなかで

勤務時より早い就寝をしている。

まったく健康の権化である。

だれに強いられているわけでもない。

 

口に合ったものを≪自分で調理して食べる≫こと。

ささいな当り前のことのようだけれど、在職時は

毎日そういうわけにいかなかった。

 

特にひとり暮らしになってからは、仕事の都合で帰宅が遅くなると

作る気力が失せ、お総菜専門の店に並ぶこともあった。

家族が待っていて皆で食卓を囲むのなら、張り合いもあろうが

ひとりなら、つい手を抜いてしまう。

 

いまなど、到底考えられないことだが

変われば変わるものである。

 

時間がたっぷりあるおかげで、食材を吟味して、食べたいものを作る。

そして「おいしいなぁ~」と心の底から感じる。

最近は、幼少時に母親が作って食べさせてくれた

煮物などが多くなっていて母の味を思い出す。

 

このように安寧な時間と心身の安定をもたらすのは

「選択」の結果だと言える。

本来なら、有り難いことに70歳まで仕事に就ける予定だったのを

あることがきっかけで辞めた。

 

詳細な理由は省くが、仕事の重圧とストレスが心身に及び、

あちこち身体に異変を感じていたことも要因のひとつだ。

昔は、定年55歳、そして60歳、いまもう少し伸びようとしている。

元気なら、いつまでも働いていて良さそうなものだが

元来の「ラク好み」の気性と「我慢をしたくない」という

我がままから、きっぱり決断した。

 

結果オーライである。

あのまま、無理をして続けていたなら

今ごろ病院通いが絶えないだろう。

 

免疫学の阿保徹も「いまの日本人は働き過ぎだ」と言っている。

働き過ぎが心身に影響を及ぼし病の因を作る。

生活の目処が立つなら欲は捨て、からだを解放してやったらとも言う。

 

確かにそのとおりだと言えるが、思うに任せないのが普通で

ほとんどの人がギリギリまで働いている。

 

わたしの場合、扶養する家族もいない独り身の気楽さゆえ

何とかなるさ!と、耐乏生活と引き換えにきっぱり職を辞した。

頼みの年金も年々減額され(まだ満額ではない)

なんとも頼りない生活なのだが、それで良しとしている。

 

根っからの楽天的な性格もあるだろう。

何より、一番大切にしているものを掌中にしている

悦びを実感しているせいかも知れない。

 

身近なところでしあわせの種を探すといくらでも出てくる。

 

冒頭の佐藤愛子のエッセイのように、わたしも

取り立てて問題にするような苦労がないことに感謝し

そして、大切にしている昨今である。