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幽霊の悲しみを抱きしめて

社会事象

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3,11東日本大震災のあと、津波によって家も町も失い、大事な家族の誰かを失った被災者たちは、何か月にもわたって公共施設や体育館などの避難所での集団生活を余儀なくされた。犠牲になったのは、祖父母、親、連れ合い、子どもなどの、誰かであったり、様々だ。

そして残された人々の多くは、夜になると、幽霊に出合ったと言う。

 

被災者たちのそういう経験は、震災から数か月から1年経って仮設住宅に移ってからも続いたと、ケアにあたる人から聞いた。

現れるのは、ぼんやりとした人間の形をしたものだったり、はっきりと顔のわかるものだったり、幽霊を見たと言う人によっていろいろだが、特に子どもを亡くした親の場合は「浜辺に立ってじーっと私のほうをみているんです。すごく悲しそうなというか、恨めしそうというか、思わず名前を読んだら、すーっと消えてしまったのです」などと語る。

 

このような被災者の話を、心のケアにあたる医療者やカウンセラーは、どのように理解したらよいのだろうか。「幻覚に過ぎませんよ」とか「幽霊なんで科学では認められていません」などと全否定したのでは救われない。

被災者はますます悲しみに打ちひしがれるだけだ。

 

想像を絶する大津波の恐怖、その津波に呑み込まれていった大切な人。そんな体験をした人にとって幽霊の出現は真実なのだと受け止め、まるごと抱きしめてあげるような共感を示すことこそ、向き合う人に求められるのだ。』

 

柳田邦男が、ある機関紙に寄せた随筆である。

 

あなたは、幽霊や霊魂を信じるだろうか。

わたし自身、霊感はなく、鈍感なほうなので憑依されたりしたことはないが、作家の佐藤愛子は、数十年のあいだ、先祖の霊が浄化していなくて霊に悩まされていた。

そして、そのことをずっとエッセイなどで綴っている。

それは読むのも恐ろしい体験をされていたが、根底には現在の子孫の安寧を

願う先祖の強い思いが感じられた。

霊能者などの力を借りて10年ほどでようやく終結している。

 

死んだひとが残された者のあとに出てくる話は、よく聞く。

現にわが家も、夫の死後1年ぐらいは、しょっちゅう子どもたちの前に現れていた。

私の前にも一度だけ来た。

もっと現れてくれればいいと思ったが、あっさりしたもので来ない。

 

子どもたちのことは成人していても気にかかるのか。

「昨日、オトンが来たわ・・・」「お父さんの夢みたわ・・・」

息子や、息子が話す父親との対面や会話は具体的で、

生きていた時の続きのような面があり、驚いた。

明るく軽快な感じで消えていくというのだ。

 

わたしの場合も同じだ。

すがすがしい顔をしてさ~~っと走るように去っていく。

話はしたことがないが、顔の表情や行動から夫があの世で

元気に機嫌よくしているように感じられ、わたしは安心する。

 

なにしろ生きているあいだは、心身の不調と七転八倒の苦しみが続いて

「死にたい」と、漏らしたことは数知れない。

本人も痛みと苦しみで辛いだろうが、見ている家族もまた見るに堪えなかった。

 

いま、その苦しみから解放され、悠々と霊界を上昇し、生まれ変わっているのではないかと思うことがある。

輪廻と言う言葉があるように生まれ変わったのではないかと。

人間に生まれ変わるか、何に変わるかはわからないが。

 

前述の震災で肉親を亡くした人たちの思い・・・

無念で、受け入れ難く、亡き人に会いたい気持ちが募るだろうことも察せられる。

 

幽霊に会った人の話は、真剣に受け止めホールドしてほしいなぁと、わたしも思う。

遭遇した人はそれだけでも救われるのだから。

エッセイを読んでいて気持ちが疼いた。

どうか魂の浄化ができますように・・・

残された者の心の平安が訪れますように・・・と祈らずにはおれない。

 

延び延びになっていた、墓参にこれから行く。

彼岸からずいぶん遅れた、待っててよ。