有難いということ

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何気なく使っている「有り難い」は仏教用語からきているそうで

「有ることが難い」と解釈するそうである。

つい現代人には有ることが当たり前に感じてしまうが

示唆に富んでいる言葉だと思う。

 

わが古い友人はいつもこの「ありがたい」が口癖で

そんなに老いてもいないのに仏様のように柔和な表情をしている。

口をとがらせ不平不満を言っているのを聴いたことがない。

 

先日も、固定電話に電話するも(携帯は持ってない)出ないことが多い。

この寒空に毎日、どこへ出かけているのだろう・・・

留守電に声を吹き込んでいたら、やっと連絡があった。

「毎日忙しそうね、お出かけだった?」訊くと

「お風呂へ行ってたのよう」

のんびりした声が帰ってきた。

 

府営住宅に住んでいる彼女宅のお風呂がつぶれてしまい

市の無料の銭湯に通っているということ。

もう長いらしく新規にお風呂を入れ変える気持ちはないようだ。

府営住宅は、築年数も古く新規の入居募集もやっていないということで

引っ越しを余儀なくされたりで、閑散としてきた・・とこぼしている。

 

でも彼女にしてみれば40年以上住み続け、何より

駅が近い上に、スーパーなどが林立していて便利だといい

毎日の買い物ばかりか、気晴らしに最高よとご満悦である。

なるほど、これでお風呂が入ればいうことないのにね。

 

寒いなかバスに乗り銭湯に通うだそうだが

「楽しいわよ~~」

お年寄りばかりだけれど、のんびりおしゃべりして

ゆっくりお湯につかって帰るの。

銭湯生活をすっかりお気に召しているようである。

わたしなんか、つい不満のひとつも口にしてしまいそうである。

 

このように、自分にとって不都合なことでも

プラスに置き替えて有り難い、ありがたいと感謝して生きていると

福が舞い降りてしあわせの輪廻がありそうである。

彼女はいつもニコニコしている。

わが母のようだ。

感謝のこころ・・・忘れないようにしたい。

見習わなくては。