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自分がハッピーでないと、まわりをハッピーにできない。

生き方・人

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30年ほど前に心理学やカウンセリングを学んだときの言葉である。

交流分析では、「自分の人生脚本は自分で描く」

「YES.NOをはっきり相手に伝える」など

人の顔色をみてしまう当時のわたしは、自己主張や自己表現に乏しく

療法のありかたに深く心を打たれた。

目から鱗の感があり、どれだけ救われたか知れない。

とても気持ちが楽になったのを覚えている。

仕事の中での人間関係もろもろ・・・

 

閉塞していた、自分のこころの立て直しを図りたい、自分を変えたいと

いう思いから、ある養成講座を受講した。

仕事をしながらだったから時間的にもきつかったけれど

精神の糧はありあまるほどいただき、全国各地から受講された

年代の違う方と学び交流することが、また一段と活きた勉強にもなった。

 

4年間のカリキュラム全過程を終了し、無事資格を取得したけれど

あまり社会資源としては、役に立てていない。

わが家の子育てと夫の闘病を支え、生活することで精いっぱいだったのだ。

 

ずいぶん昔のことのようにも思えるが、まだ30年ほどしか経っていない。

あのころはまだ介護という言葉が少なかった。

社会が若かったというべきか。

何の支援も受けずにダブルワークで子育てをし、自己の管理をし

必死だったけれど、駆け込み寺のようにカウンセリングの

仲間がいてくれたことが救いでもあった。

たっぷり傾聴してもらい、吐き出し甘えたものだ。

いまでも思い出しては感謝の念があふれてくる。

 

自らが窮地に陥ったり、辛い思いをしていているときに

しっかり受容してくれる人がいるということは

生きていく上でとても援けになる。

 

高齢者の介護が増加するなか、介護者自身にも

安心して息抜きできるメンタルヘルスが必要だと感じる。

自殺や虐待があとを絶たないのも、介護者自身の

精神面の風通しが十分ではないからではないか。

ひとによっては、犠牲的精神が増幅してくる。

どっぷり「介護につかる」のは良くない。

たまに友人と食事に出かけたり映画をみたりの

自分の時間が持てると元気が出て来るものだ。

 

自分ひとりで抱え込まないで、まわりに甘えることもいい。

出口の見えない介護は、ある意味自分との闘いでもある。

そしてもっと優しい言葉をかけたいと思うのにできないなどの

現実場面では葛藤があり苦しいだろうと推測する。

わたしも、かつてそうだった。

常に自分のなかに優しい慈しむ面と相反するこころがあり苦しかった。

生きていくことは、難しい。

そしてきれいごとばかりではない。

 

愛する伴侶が病に倒れたら看護する一方、時どき、

わがままに生きて、と伝えている。

そして、もっと愉しんでと伝える。

自分がハッピーでないと相手をハッピーにできないから。