3年ほど前に描いた「カリン」
人間、年を経ると昔話が多くなるという。
わたしも最近、やたらとかつてのことを思い出すようになっている。
懐古趣味に浸るには早いのに、子どものころを懐かしむ。
つるべ落としの今の季節、切なさも感じる。
子どものころ、夕暮れになると一緒に遊んでいた
近所の子たちも、いっせいに家路を急ぐ。
薄暗くなると寂しさが募るのだ。
「三橋美智也」の題名は忘れたが、とんびが輪をかいたあ♪
などの古い歌もどこからともなく聞こえて来る。
父が好み、わたしもいつのまにか好きになっている。
稲刈りの済んだ田んぼで「缶蹴り」をしたり
みんなで落ち葉を広い集め、芋を焼くなど
ほっこりとした遊びの思い出が甦る。
そして思い出は、食べ物とセットでやってくる。
誕生日には、黄な粉とこしあんの両方のおはぎで祝ってもらう。
定番だ。
学校から帰ると小豆を煮る匂いがたち込め、嬉しさがこみあげてくる。
海鮮などと洒落た具のない寿司は
相変わらず、かんぴょうや干しシイタケや小さく
刻んだニンジンが入っているだけの簡素なもの。
金糸卵を散らし終わり。
それでも十分なごちそうだ。
いそいそと台所に立っていた母の笑顔と割烹着姿が目に浮かぶ。
毎年、それぞれの姉妹にもセーターを編んでもらい
出来上がると自慢の顔で翌日登校したものだ。
何かで母を怒らせ、追いかけまわされた記憶もある^^
確か・・・?
母の思い出は尽きないが、どうしていつも
こんなにニコニコとしておれるのかと思うほど
にこやかな表情をしていた。
外からは伺いしれない懊悩を抱えていたせいだともいえる。
姉たちには詳細を話していたようだが、ノーテンキな
わたしは、自分のことが精一杯でゆっくりと
包み込む余裕がなかった。
もっと大事にしてあげたらよかった・・
いま思うのは、このことばかりである。
人間、死しても魂は残るという。
逝った父、母のことも身近に感じる。
もちろん、夫のこともだ。
他界して10余年ず~っと、心のなかで生き続ける。
たまに、生きていたころと同じ
声のトーンで話をすることがある。
懐かしいなあ。
静かな秋が訪れると、内省してしまうのか
子ども時代のわたしや父母のことをほんわかと思う。
逝って10年以上・・・
思い出は尽きない。