クワバラ、クワバラ

クワバラ、クワバラ (西福寺)

 

f:id:mursakisikibu:20151229145409j:plain

今日のTVニュースは米国の各地で季節外れの竜巻が発生し、死者を含む悲惨な

災害を伝えている。

翻って記憶をたどると今年の日本には口永良部島の噴火が5月に起こり、また台風18号に伴う関東・東北地方の大雨と河川の氾濫(栃木県鬼怒川の氾濫・山形県最上小国川の氾濫や宮城県渋井川の堤防決壊)が9月にあった。

 

自然災害といえば、日本では古来上記の竜巻や河川の氾濫ではなく、『地震、雷、

火事、親父』といわれている。

親父は災害ではなかったが、かつては災難の元凶であったのか?

もっとも、最後の『親父』に関しては、ナイロン靴下の出現に伴って婦人の権力も強くなり主婦はいつの間にか影の財務大臣に変容して、世相は『地震、雷、火事、おくさん』に代わってしまっている。

 

さて怖いものの二番に位置するのが『雷』である。この自然災害は多くの死者を生じないが、神出鬼没なので始末に負えない。ピカーツと光り、ドドンと鳴るが、中にはピカーもなく、ドドンもない雷もあり、その種類は直撃雷・測撃雷・誘導雷・侵入雷など。雷の説明が今日のブログの目的ではないので、ご興味のある方は、ウエブサイトを検索してください。

 

この雷が発生した時に、蚊帳を吊りその真ん中に座して『クワバラ、クワバラ』と

おまじないを唱えると良い、と言われてきた。

さらにこの『クワバラ、クワバラ』は、『嫌なことや災難を避けようとして唱えるまじない』とも言われている。

実は、この呪文の『クワバラ、クワバラ』という言葉の語源に最近巡り合うことになったのでそれを今日は紹介したい。

 

大阪・泉州地方は古い土地柄であるが、今日では9市4町で人口174万人を擁す地である。この地は仁徳御陵を始め沢山の天皇陵や古墳 があり、中でも全国でも屈指の規模を誇る国史跡に指定されている弥生時代の集落跡・池上曽根遺跡(4世紀後半頃)がある。また安倍晴明陰陽師)と葛の葉伝説と樹齢約700年の巨木もある葛葉稲荷神社もある。

更に京から摂津・和泉を経て、紀州熊野へ通じる熊野街道(小栗街道) があり、熊野三山熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)への紀伊路とも呼ばれ、平安時代中期ごろから、熊野三山阿弥陀信仰の聖地となり、法皇上皇などの皇族、女院らの参詣(熊野御幸)や貴族の参詣がおこなわれた。

こうした街道沿におまじない『クワバラ、クワバラ』の語源となっている『桑原』の地があるのだ。呪文は実は、地名に由来していたのだ。

  

桑原が町名になったのは明治以降であるが、この桑原の地に雷にまつわる無量山西福寺がある。                           

雷と耳の寺として歴史を刻んできたこの寺は斉明天皇(35代)・皇極天皇(37代)の頃に(第38代の天智天皇の母で同一人物が異なる名前で即位)この桑原の地に沙弥道行といる僧侶が落雷の被害をなくすために仏性寺が建てられたとの縁起がある。                   

更にこの寺は源平の争乱で焼失した東大寺の大勧進職として再建復興を果たした俊乗房重源(平安時代末期から鎌倉時代、1121-1208年)が中興の祖となっている。

    

雷井戸の伝説

重源上人が本堂で雨乞いをしていた折、にわかに雷雲が起って夕立になり、

本堂脇の井戸に落雷があった。

すかさず、井戸に蓋をして雷神を閉じ込めたところ、雷神は逃してほしいと願い出た。そこで二度とこの地に落雷せぬようにとの約束を交わして雷神を開放し、天に返した。

その約束は、ゴロゴロと雷の音がしたらこの地の名前である桑原を『クワバラ、クワバラ』と唱えれば、桑原の地であると雷神には直ぐわかるので落雷しない、とのことであった。

この伝説・逸話により、『クワバラ、クワバラ』が日本中に伝搬して落雷封じの

呪文となっているとのこと。

なお、『クワバラ、クワバラ』と桑葉に関しては、菅原道真に関わる伝がある。また兵庫県三田市欣勝寺の伝説もあるが後者は1500年代なので後追いと思える。

 

   

f:id:mursakisikibu:20151229143953j:plain

 

f:id:mursakisikibu:20151229154826j:plain

  

f:id:mursakisikibu:20151229145833j:plain

 この絵馬の原画は、俵谷宗達の風神雷神図に模したようだ

 

重源上人が残し水仙

大阪・泉州地方には、昨今では全国的に著名になった岸和田市(旧岸和田藩)の『岸和田だんじり祭り』があるが、だんじりは岸和田だけではなく泉州の各地域で挙行されている。

また泉州東洋紡の発祥の地であり、毛布・ニット・タオルの名だたる産地であると同時に、生ネギや水ナスが有名。

特に西福寺付近を中心に、花の栽培が盛んである。これは重源上人が留学先の宋国から水仙の球根を持ち帰って桑原で栽培を始めたことが起源となっている。いらい水仙は、平安の京に出荷されてこの地は花卉(かき)栽培が盛んになり、今日では多くのビニール温室がある。また水仙和泉市の市章になっている。

 

f:id:mursakisikibu:20151229144243j:plain

              

後記

療養中なのでブログ記載の頻度は調整してきました。

今回は日々生活のおりに発見した歴史にまつわる話を書いた次第です。

いつもご訪問ありがとうございます。