作家・佐藤愛子

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NHKの「ラジオ深夜便」を時どき聴いている。

 

 

95歳  初のノンフィクション挑戦②

2019/02/13 ラジオ深夜便 

「インタビュー 95歳、魂は滅びない」作家・佐藤愛子さん

「恥」を忘れ、損得勘定先行の世を憂う

「長生きとは、悩み苦しむエネルギーからの解放」

 

 

2019/02/13

作家・佐藤愛子さんへのインタビュー後編では、ノンフィクションを書く難しさや近ごろ気になった事柄について語っていただきました。お金に対する臆面のない執着、恥を恥と思わぬ風潮、テクノロジーの発展が人々を生理的・反射的に行動させるようになっているなど、鋭い洞察の数々を披露されています。

「本当にあったこと」と信じてもらう文章の苦労

――去年の11月に『冥界からの電話』が出版されました。以前『晩鐘』を書き上げたときは「放心状態で空っぽになってしまってる」とおっしゃっていましたが、今回この本を書き上げた後はどんな気持ちで過ごされていましたか。

佐藤さん:

だいたい、書き上げるたびにいつも空っぽになるんです。空っぽになって、またそこにジワジワといろんなことが溜まると書きたくなる。そんなふうに書いてますね。注文されたから「じゃあ書きましょう」っていう具合にはいかないですよ。若いときは注文原稿っていうのをやりましたけど。

――佐藤愛子さん初めてのノンフィクションの本ですが、書いてみて苦労したところは

ありますか。

佐藤さん:

全部苦労しました。
担当はベテランの編集者ですけども、往生なさったんじゃないかと思いますよ。何回も書き直しましたから。よくつきあってくださったと思うくらいで。
やっぱり、フィクションは楽だな。われわれは楽な仕事してきたな。ノンフィクションを書いてる方はこんなに苦しんでおられるんだって、よくわかりましたけどね。
事実をそのまま書くと、矛盾が起きたりいろいろするわけですよ。その矛盾に対して、われわれは話が通るようにフィクションを使う。それが使えないということになると、私なんか本当にお手上げですよ。
読んでる人に「何だ、いい加減な作りごとだ」って思われずに、「本当にあったことなんだ」と信じてもらうための文章の苦労がありました。反故(ほご)にした原稿が大きな段ボールにいっぱいになってます。文章の勉強にはなりましたけどね。下手を書くとフィクションになっちゃう、無責任になっちゃう。

即物的拝金主義」を憂う

――ここからは95歳の佐藤愛子さんが、今の時代や人についてどんなことを思ってらっしゃるか伺ってまいります。最近何か気になるニュース、気になる事柄はありましたか。

佐藤さん:

もうねえ、95になりますと、世の中のことは「はるか彼方」っていう感じがあって。独りぼっちですね。批判がましいことを思っても、前は平気で口に出してたけれども、今は彼岸の出来事、向こう岸の出来事を、こっちの岸から言う意味もないっていう感じで。
でもまあ、「金持ちになりたいということばかり考えてる人が、ずいぶん増えてるな」と思いますね。折に触れて、新聞や雑誌記事を見ただけでも、例えば、高校生の野球の選手がプロに入った。その契約金がいくらで、年俸がいくらで、ってすぐお金の話なんですよ。「何だ、金の話ばっかりだな」って思う人もいなくなるぐらい、普通になってますけどもね。「なんで金の話ばっかりするんだろう?」と思う。全体に、難しく言うと、精神性が衰退して物質的になってますね。
私なんか大正の生まれ、明治の人の価値観で育てられてた大正の子どもですからね。「『金』『金』って言うヤツはろくなヤツいない」とか、親がそんなことを言っていました。「得しちゃった」「もうけた」なんて、子どもはよく言いますでしょ。そうすると、「もうけたなんていう下等な言葉を使ったらいかん」って叱られるしね。
今のような世の中になりますと、テレビを見ていても「何でこの人、こんなに金持ちなんだ?」っていう人が出てきてるでしょ。
例えば、松下幸之助さんが若いときから貧しさと戦って、努力を重ねて天下の松下幸之助さんになった、というふうに、ちゃんとお金持ちの人はお金持ちの道のりってあって、そこには努力とか我慢とか、いろいろにちりばめられた道のりがあるわけですよ。今の金持ちはなんで金持ちになったのか。どんな努力をして、どんなに苦闘をしてきたか、っていうことがわからない金持ちですよね。
経済の仕組みがそんなふうになってきてるのか、その辺になるともうわからないですよ。だからあっけにとられてるんです。何年か前までは、張り切ってそれをどうのこうのって、ケンカを吹っかけたりしたこともありますけれどもね。今はもうわからないです。
青山の一等地で児童相談所に反対する運動がありましたね。別にあれはただでそこへ割り込んできてるわけじゃなくて、正しい道のりを踏んでそこに建てようとしてるわけでしょ。「何の文句を言う筋合いがあるんだろう?」と私は不思議に思うんですけどね。
その理由がいろいろあるらしいけど、その1つに、地価が下がるっていうことを理由にしてると聞いた。自分がそこに屋敷や土地を買って、一等地だからそのうち上がるだろうと楽しみにしてるんだろうけれども、その地価が下がるから人が物を建てるのは反対するっていう、そんな発想があったとしても、口に出したら人間として恥ずかしい。
それを恥ずかしいと思わなくなってるし、恥ずかしいことを言っていると非難する人もいないのは、それが普通になってるからだろうと思う。われわれ大正生まれはたいした知識もなくて素朴に生きてきただけだけれども、そういう点では、人間は上等だったなと思うんですよ。恥を知ってたから。
「自分が損をするから嫌だ」っていう発想、これはいけませんよ。私も大体文句の多い人間だけど、その私が文句の多い時代になったと思うんだから。

「経験」で得られる力

――インターネットの世界、機械、ロボットの世界はわかりません、とおっしゃっていました。

佐藤さん:

私は、ああいうものはわからなくても生きていけると思ってたんですよ。4~5年前までは。だから携帯も持ってないし、銀行へ行ってもATMでお金を出す方法もわからないけど、窓口に行けばちゃんとお金手に入るんだしね。機械は何もわからなくても生きていけると思ってたんだけども、もう昨今は生活できないですね。
スマホとか、いろいろあるじゃないですか。そういうふうなものは、見たこともなければもちろん使い方がわからない。そうすると、「スマホで○○するんだから」って言われたって、どうしたらいいかわからない。そういう知識がないと、本当に生活できないですね。全部娘にやってもらわなきゃ。娘が旅行して3~4日いないと、停滞しちゃいますね。
こういうふうになると、反射神経みたいなものがあればやっていけるんで、深く考える必要はないんじゃないかな。だから、考えるということをだんだんしなくなる、しなくても済む生活様式になっていくんじゃないかなと思うんです。
便利になればなるほど、人間は考えることをしなくなると思いますよ。みんな、文明の進歩、どんどん機械的になっていくのを喜んでるでしょう? 新しいもの、新しいもの、って、そういうことに頭を使ってる。そうすると脱落していくものがあるという気がしてならないんですよ。
いいことがあるとしたら、つまらない情念が脱落していくこと。昔はつまんないことでけんかしたり文句言ったりしてたけど、「そんなことはどうだっていいわ、機械がやってくれるから」で済めば、争いごともなくていいかも。すっきりした生き方になるかと思ったりもするんですけどね。今はとても難しいところにさしかかっていると思います。

――佐藤さんが昔の美徳で大事だと思われるものはどんなものですか。

佐藤さん:

「情」がありましたね。今は人情が摩滅してきてる、損得が人情をむしばんでいると思います。
週刊誌なんかの見出しを広告でみると、「遺言の書き方」とか「死んだときいかに安く葬式を仕上げるか」とか、そういう方法はあるけども、「死後について考える」という記事はまったくないですよね。うまく物事を済ませる方法ばかり、現代人が求めてるから。
「今生での生きざまが死後にも影響する」ということになれば、違ってくるんじゃないですか。昔から「金持ちのドラ息子」っていう言葉があって、何の苦労もしないのはだめだっていう考え方があったんですよ。「苦労が人を磨く」っていう基本があったんですよね。だけど今、親が子どもに望むのは、いい学校へ行っていい会社へ入ること。そしたらその人生は安泰であると。
「安泰であること」が幸福だという考えに変わったんですよ。安泰ということは、そこそこの経済的な基盤があることですよね。
夫の事業がうまくいかなくて倒産しましたときには、私は貧乏のどん底になったわけですよ。そのときに思ったことは、豊かに暮らしてるときは貧乏がとっても怖かった。ところが実際にそうなってみると別にどうってことない。貧乏は貧乏なりに暮らせばいいだけの話で。だから経験してみれば、人間はそれなりの力が出るんですよ。
ところが今は、経験の量が少ない。苦しい経験をするまいとするから。安泰を求めてるから。貧乏は怖いとか、そういうことを考えるからいい学校へ入らなきゃいけない。というふうに、親が子どもに望むのはそういうことですよね。

人生100年時代も、自然に任せて

――今、貧乏は怖くないとおっしゃいましたが、怖いことは。

佐藤さん:

ボケることです。体が動かなくなることですね。自分の意志ではどうすることもできない状況は怖いですよ。貧乏は自分の意思でもってどうだってできるんだから。(去年体調を崩したときは)「一巻の終わりだな」って覚悟しましたよね。
(覚悟はしましたけど)別に自然ですよ。だって、本当に耳が聞こえなくなるし、それから目の具合が悪くなってきてますしね。健脚だったのが歩けなくなりつつあるし。あちこち衰えてくるとしょうがないじゃないですか、覚悟するしか。「もう、あの世行きが近いなあ」と自然に思いますよね。

――そのときの心は、穏やかなものでしょうか。

佐藤さん:

いや、ジタバタするエネルギーがない。それは若い人にはわからないと思いますよ。
いろいろ悩み苦しむエネルギーそのものがなくなるから、人間は自然に衰えて死んでいくんですよ。だから神様はとても上手に人間をおつくりになったと思いますよ。
これが衰えないで、いきなり60ぐらいで治らない病気にかかって覚悟しなきゃならない。それは大変だと思う。長生きとは、自然に死んでいく気持ちになれること。これが一番いい点ですよ。

――人生100年時代、まさしく素敵に生きてらっしゃる佐藤さんから見て、一番大事なこととは。

佐藤さん:

自然に任せるということ。自然が一番…頑張ったってしょうがないじゃないですか。

――でも1度は覚悟された佐藤愛子さんが、きょうもとてもお元気に話してくださっていて。

佐藤さん:

覚悟ったって、そんな悲壮なもんじゃないですよ。「なるようになっていくんだな」っていう感じですよね。その割には周りの人間は心配してない。死ぬとは思ってないでしょう。
でも去年はしゃべれなかった。本を書き上げたからヘトヘトになってたんですね。この『冥界からの電話』を書くだけで。もうすっかりエネルギーがすっからかんになってたんですよ。

 

 

佐藤愛子の歯に衣着せぬも物言いは好きだ。