生かされているということ。

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2014年 11月29日

回顧録です。

 

 

病気の発症からひと月あまりが経つことは何度か触れている。

一番驚いたのは文字が書けなくなったと。

何ということか。

自分でも信じられなかった、

焦った・・・

 

書けないというより文字の組み合わせそのものがわからなく

なり左側は思い出せても右側がまったく出てこなかったり。

文字はヘンや造りの組み合わせになっていて、両方が

思いだせないことには一つの文字として成り立たない。

 

ミミズがはったような、頼りない文字の羅列。

それでもボールペンを使い日常のことを書き綴ったことが

幸いしたのか少しずつ字を思いだした。

「ひゃ~~、わたしより漢字書けますやんか!」

「わたし、ここまで書けませんよう~~」

大阪弁で療法士さんは喜んでくれた。

そして多少マシな、見られる文字が書けるようにもなったのだ。

これには理学療法士さん援助も大きい。

ありがとう。

半月以上を要していた。

 

健康なひとでも字は書かないと忘れる。

自分の手や脳を使い「書く」ということの重要性を認識した。

メモでもいいからどんどん書くこと!

パソコン以外でも文字を書くようしなければ・・・。

 

デジタルが主の今の時代、若い世代に影響はないのだろうか。

便利さの裏にはいつも副作用がある。

かといって以前のようには戻れないことも承知はしているが怖い。

 

一方、キーボドを打つことにも、何らかの影響や変化が出ている。

すっと打てないのだ。

頭のなかでキーボードの文字列が変わっており、いつも同じところを間違える。

スピードも落ちた。

 

あれほど好きだった文章を書くことが億劫になっている感がある。

いずれ、それらは改善されるのか否か。

とにかく大学ノートを買ってきて漢字の書き取りをやろう。

 

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2014年のブログである。

まだ、スイスイと文字が打てている。

 

2回目の発症で脳を開いた。

どちらも後遺症が少なく現在に至っている。

有難い

 

神様と担当医に深く感謝している。

以前より、頭の回転も遅く行動もスローだが

それでも生かされていることに感謝だ。