子どもと縁を切る!?

人ひとりを喪すということは、残された肉親にとっては
大事(オオゴト)が襲ってくることでもある。
哀しみとともに、大きな禍根をも残すことになることもある。


K子の夫の死亡が確認されたのは、死後4日を経過しており
出勤して来ない彼を同僚が訪ねたことで発見された。


警察からの電話で検視に立会い、彼女は別居していたことを明らかにした。
その事実が会社の人々の知ることとなり、夫の一番知られたくない
秘密が図らずも露呈する結果となった。


夫の急逝は、妻のK子にはこたえた。
離婚を願った夫であってもいざ、死なれてみると
惜別の気持ちやこれまで抱いてきた憎しみに相反する感情で
気が狂いそうなほどであった。 
もちろん自責の念もある。


家族葬でつつましく送りたいという彼女の言は無視され
結局、夫の実家で義母、義妹の采配で盛大な葬儀が営まれた。
針のむしろ状態に置かれたK子の立場は容易に想像できる。


義母と義妹や夫の親戚の冷たい視線と罵倒。
息子の死因のすべてが嫁にあるというわけである。
充分覚悟をしていたとはいえ、K子はじっと耐えた。


娘の結婚式で数年ぶりに会ったときの夫の顔が、妙に膨らんでおり
服用している薬の副作用を案じた彼女は娘に、
父親の飲んでいる薬を調べて来てと頼むほど
異常を感じていたようなのだ。


持病の喘息の薬と抗生物質との服用が命を縮めたことがわかった。


義妹が、兄である夫と時どき旅行していたらしいことを
葬儀のときに初めて知った。
頻繫に一緒に行動を共にしながら
「どうして医者に見せるよう手配しなかったのか?」と
反問の気持ちが動く。


早く離婚を決断していれば、夫も別な人生を楽しめたかもしれないのに
勤務先での面子だけにこだわり、離婚は退職後と主張していた結果が、
周りを混乱に陥れる。
夫に対する感情は、悲しみ以上に怒りの気持ちが膨らむ。


「死んだあとまで、どうしてこのような思いを
しなければならないのか・・・」
修羅場になることを覚悟で諸々、言いたい気持ちが
募ったけれど、相手は80歳を超えた義母である。
前年に伴侶を亡くしている義母に配慮し、今年は、
夫と舅の初盆を共に迎えることになるので抑えた。


そうした想いに反して、持って行きようのない感情は
彼女のなかで日夜、増幅され、いたたまれない日々であった。


そんななか夫の遺品整理も終え、法定相続、遺留分与などを法にのっとり、
遺産の分配を済ませると今度はまた、奈落の底に落とされるような
出来事が起ったのである。


それは母親であるK子に対する、娘と息子の反乱である。
「パパの実家にも遺産の分配をしろ」と迫ってきたのである。
「ママは想像以上のお金を手にしたからおバァちゃんにも渡すのは当然だし、
これはパパの遺志でもある」と突然、言ってのけたのだ。


まさか、そんなことを子どもたちの口から
聞こうとは思いも寄らなかった!


一見その言い分には正当性があるように感じられるが戯言にも聞こえる。


結婚当時、安月給にも拘わらず高級車を買い、さらに毎年買い換える
浪費の数々をし、学費や家計のために働きに出たことすら
知らない子どもたちの強要である。
(実は夫の浪費と見栄が一番の離婚の原因だとK子からのちに知らされた)


それならどうして分配する前に言わなかったのか・・・。
母親の取り分から渡す・・・
不当な手段のように思え、しばし子どもたちと激論になった。


父親の死で思わぬ大金を手にした子どもたちの豹変ぶりに、K子は驚愕した。
情けない思いが強い。
自分の育て方が悪かったのだろう・・
わが身を責めるばかりである。


それまで永年、母をかばい慕ってきた子どもたちである。
二人とも、もう30歳を越している。
彼らになぜ、このような心境の変化が現れたのか。


ひとつには昨年、舅の他界後、頻繫に夫の実家に
行き来するようになってからのことも考えられる。
また父親を亡くしたあと、そこで吹き込まれたことは察知していた。


K子の名誉のためにここでは記さないことにするが
特に息子の母に対する言葉は、厳しい。


子どもたちが、夫の実家に肩入れすればするほど
K子の気持ちは四面楚歌のように追い詰められた気持ちになる。


K子もお金の亡者ではない。
そんなことは、どうでも良かったのだ。


亡き夫や義母や義妹に対して憤りの念が増す。
急に善者ぶる子どもたちにも腹が立つ。
自分の感情をもてあまし眠れない日が続いた。


子どもたちの言いなりになると終生、彼らの背後にいる夫の影や
義母に気持ちを砕かれる。
投げつけられた言葉のひとつひとつが刃となって心に突き刺さり
重くのしかかる。


K子は決心した。
子どもたちとの縁を切ってでも、彼らの願うとおりには、
しないことを・・・。


「お金は人を惑わす」
言い古された言葉だが、そのことによって
人生を棒に振ったり、他との関係を危うくすることも多い。
子どもたちもそのことを思い知るときがやってくるだろう。
母は案じるのみである。



離婚への渇望は夫の急逝と、子どもとの不和という
思いがけない形でやってきた。
子どもたちとの確執はいずれ解けるときが来るだろう。


今はK子が居心地よく、自分の望むように
これからを生きていけることを願うばかりである。



コオニユリ