ゴーストライターの役割

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例の何やらむつかしい名前の作曲家?が、弁明記者会見をしたことで

あらたな波紋を広げているようである。

稚拙で子ども騙しのような釈明に見苦しさを感じる。

時間と電波の無駄のようで、それ以上知りたくもない。

 

いったいゴーストライターってなんだ?

ライブドアの、元社長堀江貴文のゴースト本も何冊か手がけたという

あるライター氏によると・・・

作曲以外の本の出版物では、ゴーストライターの存在は、常識らしい。

職業として成り立っているというのだ。

 

著名人の90%が著作物をライターに依頼する。

出版社、著者、ゴーストライター、3者が合意のうえで

1冊の本を世に送り出すのは、今や当たり前のようである。

 

中小企業の経営者や、芸能人など忙しくて書く暇が無い。

それに加えて文章力が無い。

表現・表記もむずかしい。

また出版社としては、いつ原稿が仕上がるか見当もつかないものを待てない。

経営として成り立たないから必然的に、ゴーストライター

頼らざるを得ない、ということらしい。

ライターは著者に入念に聞きとりを行ったうえで執筆にかかる。

 

「カネでなんでも買える」と嘯いていたあのホリエモン

本がひら台に積み上げられたとき、立ち読みしてみた。

軽薄そうな彼にしたら珍しく、しっかりした文章を書くのだなぁと

感心したことがあった。

 

なるほど、言われてみれば納得である。

豪語はできても「売れる文章」を書けるとは限らないのだ。

 

日経新聞の「わたしの履歴書」もゴーストの手に依るものが

多いとは、最近知った。

渡辺淳一瀬戸内寂聴など作家の書くそれは、迫力があり

小説仕立てで面白かったけれど、芸能人のは

自慢が多くて読めたものではない。

その意味がようやくわかった。

本人が書いていないからなのだ。

 

自らが記す文章は、多少自慢したいことでも抑えて

対比させる自虐的なことを挿入させ、バランスをとる。

しかし他人が書くと遠慮があるのか、ストレートな表現になる感がある。

 

過去記事 佐久間良子・箱入り娘伝のなかで

 

 

自慢に聞こえる表現にどうしても違和感を拭えなかったのは

やはりプロの手による記述だったからなのだ。

 

2年ほど前の記事に最近コメントが入っており、驚いた。

嬉しいなぁ、早く返信をと思いつつ、書きそびれている。

コメントを下さった方は「ありのままに書いてどこが悪い」としている。

確かにそうだ。

そのような感覚も当り前かも知れない。

しかし入念な聞きとりの上で書いたにせよ、隔靴掻痒の感は拭えない。

 

「売れる著作物」を世に出すことは、ゴーストライター

著者と出版社の「エコシステム」であるらしい。

よくわからないけれど、こういうことで世の中が

廻っているらしいということだけは、少し知った。