「ああ、怖っ!」

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昨日、京都の帰りに大阪駅で電車を待っていると

髪の毛が逆立つほどの思いをした。

 

若い女性の車いすが最前列に並んでいるわたしたちの前を通り抜け

そして似たような世代の、同じく車いすの女性があとに続いている。

前の女性はニコニコと後ろを振り返り、話しかけている。

 

しかし・・・

彼女たちの足元を見ると、ぞ~っ!

点字ブロックを大きく離れ、ホームすれすれに走っているのだ!

片側の車輪が今にも線路に落ちそうなのだ。

一瞬のあいだのことで傍の車掌も注意する暇がないぐらいだった。

 

「怖かったですねぇ・・・」

「落ちたらどうするんでしょう・・・」

同じように最前列に並んでいた中年女性と思わず顔を

見合わせ、声を発したものだ。

あまりの無防備に呆れ、恐ろしさを感じた。

「ほんとに、もう落ちそうでしたね、ひやりとしました」

「もうちょっと、内側を走ったらいいのにねぇ・・・」

相手の女性も同じように言葉を返してきた。

 

彼女たちには介助者はいなかった。

車椅子は「走る」「歩く」どの表現になるのか知らないが

平然とホームの端っこを通り抜けた若い女性の

危機意識のなさに、唖然としたものである。

 

ちょっとの油断が取り返しのつかないことになる。

わが身の命の危険だけではなく乗客にも多大な迷惑をかけることにもなる。

このようなことが、わかっているのか、わかっていないのか

頓着しないのは何故?

想像力の欠如か?

 

危機意識のなさについては、以前から何度も拙ブログでも取り上げている。

車のハンドルを握っている最中にスマホや携帯を触っているひとは

もう珍しくもない。

自転車の荷台に子どもを乗せて走りながら、スマホをいじくっているひと。

横断歩道や生活道路でも幼い子どもを平気で、ひとりで歩かせている若い親など

危ないと感じることは、日常のなかに多々浸透している。

 

「何かあってからでは、遅すぎる・・・」

モラルや危機意識をまわりがいくら憤慨し、説いたところで

本人たちはケロッとして意に介さない。

若い世代をいぶかしんでばかりも、おれない。

最近は分別もあり過ぎる高齢者でさえ平気で禁を破る。

 

感覚の麻痺か。

世の中がどんどん「幼稚化」している。

自分さえ良ければの意識も蔓延しているように感じる。

「想像力」と「危機意識」を持ってもらうにはどうしたらいいのだ。

自分の身は自分で守るしかないのだぞ~~

 

朝から、昨日のできごとを思い出し憤怒している。