旧交を温める

ひとを招くことの少なくなったわが家に、最近は
知人、友人が訪れてくれるようになっている。
今日の客人は20年ぶりに会う。

彼女は夫の転勤にあわせて札幌や東京暮らしが長かった。
その転勤先の自宅へ、上京したおりに訪ねて行ったことがある。
以来、年賀状だけのやりとりが続いていた。


夫の定年で郷里の大阪へ舞い戻ってき、いまは
ふたりで卓球教室へ通い、練習試合を積み、親から譲られた
畑などを耕し自給の日々だそうである。
「毎日、毎日けっこう忙しいのよぉ」楽しそうに言う。


彼女の母上が人生の終焉を迎えるころ、わたしも実母を
看取っており哀しみの渦中にあった。
電話で辛さを語ってくる彼女の気持ちにじっくり沿うこともできず、
長い間気にはなっていた。


こうして久しぶりに会ってみると取り留めのない会話ではあるが
空白を感じることなく、話は尽きずお互いの休闊を叙した。


彼女の生きてきた道も大きな苦しみや挫折などないように見え
当たり前だけれどそれなりの、それぞれのドラマがあるなぁと感じた。


人と話す、ということは自らのこころを耕すことに他ならないと思える。
人と交わるということは、刺激があり、自らを活性化するのに大いに役立つ。
何気ない会話の中から生きるヒントを得ることもある。
電話やメールでこと足りることもあるけれど、しっかり目を見て話し
表情で感情を汲み取る。


このような、当たり前の交流からわたしは数年のあいだ遠ざかっていたような気がする。


特に昨年、仕事を辞してから人に会いたくない自分があり
人と話すのが億劫に感じるわたしがいた。
自分でもよくわからない内面の沈殿である。


今年に入り、ようやくトンネルを抜けるような感があり
「人と接しよう!会おう!」と決めた。
そしていま・・・
少しずつ気持ちがほぐれていく自分を感じている。


他者とのコミュニティはやっぱり好きであり
必要だとの思いを強くした。