わが家の墓事情

♪ 私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません ♪


お墓の前で泣くことも減ったけれど
お墓に眠っていないと言われても、やっぱり墓参は落ち着く。
墓を磨き、きれいに整え、好物を供え、線香をたゆらす。
孫たちが小さな手を合わせ「ジイジ、こんにちは〜」とあいさつしている。
のどかで満ち足りた空間である。
その墓参りに行く回数がだんだん少なくなってきている。


長い道中だから子どもたち家族とワイワイ言いながら
行きたいと願っているが、それぞれの都合もあり、
そう頻繁にはいけないでいる。
一番の要因は遠い、ということだろう。
やっぱり、あのときお墓をこちらに移しておけば良かったかなと
いう思いが時どき胸に迫る。


いまのわが家のお墓は夫の両親の生誕地、岡山にある。
先祖代々守り続けているその墓地に夫が生前に大きな墓を建てた。
そのなかに夫の両親も夫も眠っているのである。


本当は迷った。
8年前夫の納骨のとき、いつでも気軽に行けるようにとお墓を
こちらに移そうかと思った。
仕事の合間に子どもたちと資料を取り寄せ
いろいろ墓地を見て回った。


幾つか見たなかで気に入った所もあったけれど
「帯に短し、タスキに長し」で、なかなか意に沿わない。
たまたま市が公募しているのを広報誌で知り、みんなで見に行った。


日当たりもいいし明るくきれいに区画され、広さもまあまあである。
分譲というより永久に使える権利を買うようなものだ。
何より「墓をそのまま持ってきていい」というのが、一番の魅力だった。
わが家から車で数分の場所で、電車でも行ける距離も気に入った。
けっこうな金額ではある。
しかし、近いしいつでも行ける。


公募の条件を充たしたのか抽選に当たった。
そして費用を振り込む段階になり、ふと知人にそのことを話したことが
きっかけで、それは取りやめにした。


理由は書かないけれど、生きていくうえで重大なことに関りそうである。
結局そうこうしているうちに納骨の日がやってきて
そのまま、夫が建てたお墓に収まったのである。
高野山系のりっぱな檀家でもあり、何の不足もないのだが
「遠い」というのが懸念要因である。
近くで毎週のように墓参している人をみると羨ましく思うほどである。


ドライブ気分で合流しての墓参もいい。
日本昔話しに出てくるような素朴な町を訪ねるのもたまにはいい。
亡き夫の生まれた所でもあるから愛着もある。


しかし、子どもたちが結婚してそれぞれの家族を持つと
長い道中が気にかかる。
老婆心が膨らみ、事故にでも遭ったらと思うとそう頻繫にはいけない。


逡巡とした気持ちは当分続くだろう。


紅桃花