素敵に年齢を重ねよう

漢字にはそれぞれ意味があるのは、周知のとおりだが
「敬老の日」に、ちなんで見てみると
「老」という字は70歳以上の老人を指し
「耆」という字は60歳を意味すると言われている。
いずれも「老いる」ということらしい。


釈尊はただ年をとっただけなら『空しく老いぼれた人』といい
「他を思いやる真心と徳を具え、慈しみ深い人こそ
長老と呼ばれる」と明言している。


さらに「学ぶことの少ない人は牛のように老いる。
肉は増えるが智慧が増えることはない」という
厳しい言葉も残している。


また東洋思想の泰斗として知られた安岡正氏の言葉によれば
年を取るというのは、経験を積み、思想を深め、人生を完成させていく
努力の過程であり、そのためにも常に学び
熟達の境地を目指すのが「老い」だと言っている。


また一方では、アンチエージング(抗加齢)という言葉がはやり
いつまでも若くいたい、という考えが広まっている。
豊かな高齢期を迎えるにはどうしたらいいか、ということで
精神診療内科医の海原純子氏は・・・


『いつまでも若くありたい、という気持ちは大事だが、
やってもダメなものは仕方がないとあきらめることも必要。
若くなければできないことはたくさんあるけれど、
年を取らなければできないことのほうがもっとたくさん、ある』と
言っている。


「若いころ人前で話すことができなかったが、診療で相手の
気持ちになって想像することができるようになったのも
年を取ったおかげ」と海原氏。


このように考えると年齢を重ねることは少しも怖くない、
そして生きることの目標もしっかり持ちたいと思えてくる。


しかし自分の外に目標を設定すると
他と比較するなど、なかかなかうまくいかない。
人から評価されるとか、お金が儲かるとかではなく
自分のなかに目標を作ることが大事ではないか、と感じる。


わたしは、かつて向学心や向上心も旺盛だったが
八方美人で、あれこれカルチャーにたっぷり手を染めてきた。
いま思うとどれも中途半端でモノになっていないような気がする。
それはそれでひとつの経験として悪くはないのだが
今は、じっくりひとつのことに向き合い
そのことを熟成させたい気持ちが強い。


いつも自分自身で成長している、と感じられることを目標にする。
自分には才能がないとあきらめないで一歩一歩努力する。
とくに最近そのことを感じるようになった。


ただ年を取るだけの『空しく老いぼれた人』にはなりたくない。
そして素敵に年齢を重ねたい!と切望する。



白式部 万博公園にて