危機管理意識

最近、とみに怖がりになった。
杞憂とまでいかないけれど、心配性になったと言える。
特に幼ない子どもの行動には、ハラハラすることが多い。
一瞬たりとも目を離せない。



家庭内においては、テーブルクロスやポットのお湯など
大人にとっては普通のことが乳幼児には命とりになる。


昨今、小さい子を置いて親が出かけ、その留守に
子どもが事故に遭うなどは、枚挙にいとまがない。
駐車場などでも車を降りて、幼い子の手もつながず
親が歩いているのを見ると恐ろしくてみておれない。
幸いにも娘夫婦は、ゴミ出しでも絶対子どもたちだけ置いて
部屋を出ることがないほど、厳しく危機意識を持っている。
安心はしている。


最近は、スマートフォンなどの普及で歩きながらメールをしたり
ネットをみたりする「ながらメール」というのが、あるらしい。
熱中するあまり電車のホームに落ちたり、轢かれたりの事故もあとを絶たない。


「危機管理意識」の最たる欠如だ。


年齢を重ねると、多少の想像力も出てくる。
危険に対しての認知度も高くなって当然であるが
依然として車を運転中のひとの携帯電話をみかける。


先日、わたしは怖い思いをした。
所用で知人の車に乗せてもらったときのことである。
なんと運転中にメールを打ち出したのだ。
そしてかかってきた携帯電話にも当たり前のように運転しながら話し込む。


青信号などの合間に打ったりしているのだけれど
助手席のわたしは、ヒヤヒヤのし通しであった。
怖くて内心、不機嫌になる。
身内ならば「運転中は止めといたら?」と言うところだが他人様には言えない。
これから、なるべくなら同乗することを辞めたい気分である。


運転している主は60代の現役の事業主だ。
かかってきたのは、仕事関連のようだがそんなに
急いで返信をしないといけないことなのか・・
自宅まで10分ほどのあいだ、どうして待てないのだろう。
ましてや、他人を乗せている車である。


夕方の薄暗い夜道で、車の多い時間帯である。
危機管理意識のなさに、そのひとの人間性にも不信感を抱いてしまった。
「これぐらいは・・・」と思えることが人間の一生を台無しにする。
一瞬の油断が大きな不幸を招くことを肝に銘じたい。


ながら運転など言語道断であるが
特に乳幼児がいる家庭では、過剰なほどの配慮が必要だろう。
周りには危険が満ちている。


歳を重ねると諸々、不安でならない。
まったく心配性になったものだ。