根回しは必要悪か、必須の善か

年度末を迎えたこの時期は、諸々団体の総会のシーズンでもある。
末席に連ねているわが住居の理事会もご多分に漏れず集会室で催した。
10棟あるマンションを5つの街区に分けており、そのなかの
小さな部会理事会の総会である。
最終的に全体の総会を市のコミュニティセンターで行う。



黒竜梅 万博公園にて



10年余前の役員の際には忙しさにかまけ、サボったけれど
今回は、さすがに知らん振りをするわけにもいかず、出席した。
出席率は年々減ってきているそうで、住民の関心の低さが伺える。


今年度(昨年4月から)の役員は、初めての試みとして
年間の事業に関しては、その都度コミュニティ新聞などを
介して告知と報告をしてきた。
また住民の意向を取り入れるためにアンケートを通じて意見を募るなど
これまでより進歩した理事会のありようではなかったかと感じている。


しかし総会の席ではひとつの議案の採決に長時間を要した。
質疑は歓迎するし活発な議論は必要だ。
議事が一方的に進行するのもよくないが
なかなか進まないことにも辟易する。


参加者の発言を冷静に聞いてみると、議案書の中身をよく
理解しないままに滔々と執行部を揶揄する。
そうして息巻く発言者は概ね、以前理事長などの役職経験者である。
彼らは自らの過去の成功談を披歴し、己の実績と比較するなど
その場にふさわしくない発言が多い。


こうした議事進行を妨げる人の参加が予測される場合には
「根回し」をしておいたらどうだろうか。


かつて、わたしも数年ほどある団体を担っていたことがある。
理事会の席上や、お国からの来賓のお歴々が席を飾る総会のなかでも、
やはり同じようなことが繰り返され、ひどく落ち込んだ経験を持つ。


そんななか一計を案じ、先手を打った。
発言するだろうと予測できる方に予め議案書を送り
相手の理解を得るなど、受容する態度を示したのだ。
いつも「上げ足」ばかり取る方に対しても
人目を引く場での労を担ってもらうなど「敵」の懐に
入ることで味方につけた。


一方では最前列の席に親しい役員さんに座ってもらい「異議なし!」と
すばやく声をあげてもらい、議事を滞りなく進めることも行った。


大事なことは「賛成してくれなくても良いが反対はしない」ように
持っていく術が必要だ。
苦肉の策だが、そうしないと時間内に収まらない。


それにしても、昨日の総会は枝葉末節的なところで大幅に時間を浪費した。
議事長はわたしより若い40代の男性であり
手練手管で迫る70歳前後の参加者は意気揚々とまくしたてる。
無理もないか・・・
政治の世界ではないけれど、こんなところにも「人間学」が
必要だとの実感を持つ。


こうした情景は洗練された企業などと違い、任意団体などで、
常時見られるものではないだろうか。
事前打ち合わせや、根回しの必要を感じた。