岸和田弁と孟母三遷

NHKの朝のドラマ『カーネーション』もいよいよ終焉である。
このドラマの舞台である岸和田は、建武中興(14世紀)のころ
楠木正成の一族、和田高家が大阪南部(泉州)の海辺(岸)の脇に
築城(城の堀には海水を導入)したことに由来している。
この岸和田城にはその後、徳川家康の妹の子岡部氏が藩主となり
以降、幕末に至っているという。



梅・幾世寝覚(いくよねざめ)万博公園にて


「このドラマの会話は大阪弁?」と思う人が多いのではなかろうか。
主役を交代した夏木マリは「岸和田弁」に力を入れたと聞いている。


ひと口に大阪といっても、律令制度下(8世紀)に定められた
攝津国、河内国、和泉国が今日の大阪府になっている。
それに伴い大阪には、摂津弁、河内弁、和泉(泉州)弁があり、
これを今日大阪弁と称し、関西弁とは京言葉、大阪弁と神戸弁を指す
ようになったと言われる。


孫の潤平は、岸和田市に隣接するI市で生まれ
市内の幼稚園に通いこの4月から年長組みになる。
成長するに従い、彼らなりに交友の幅が広がってきている。
この年齢になると両親の影響以外に、外での感化も大きく
良くも悪くも多くのことを学ぶ。
言葉も例外ではない。


先日も3歳のかえでが・・・
「〜〜するやしぃ」(〜〜する、の意)
「ほんで〜〜でなぁ」(そして〜〜なのよ、の意)
などと逞しいことばを、堂々と発している。
「へぇ、すごい言葉を知っているね〜」ばぁばが驚いていると、
「まだ〜〜するんケぇと言わないだけマシよ」と呆れ顔のママ。
よ〜く聴いていると潤平が同じようにしゃべっている。


これは、ドラマ「カーネーション」で語られている言葉に似ている。
親しみはあるけれどお世辞にも品が良いとも思えない。
兄貴が幼稚園で仕入れてきた言葉を
妹のかえでがしっかり見習っている。
住環境が子どもに与えることの重みを感じる。


そこで思い起こすのが『孟母三遷の教え』である。
子どものころ母が話してくれたように記憶しているが
もちろんわたしは、理解できないでいた。


江戸時代の子どもは寺子屋では四書五経の類など読まされて
育ったようであり、それが明治や大正時代にも語り継がれた。
こうした儒教(朱子学)が終戦までの教育の中心で
「修身」という教科があったと聞いている。


「孟母三遷の教え」の意味は・・・・


「孟子の母は、はじめ墓場のそばに住んでいたが、孟子が葬式の
まねばかりしているので、市場近くに転居した。
ところが今度は孟子が商人の駆け引きをまねるので、学校のそばに転居した。
すると礼儀作法をまねるようになったので、
これこそ教育に最適の場所だとして定住したという故事。
教育には環境が大切であるという教えである。」


わたし自身も子育てのなかで大切にしたのが「言葉」だった。
言葉はその人間の表現力の看板のようなものだ。
自分の意見をきちんと持つことと、
なるべく共通語に近いものを使うように心がけてきた。
少しばかりの親の矜持である。


今日の社会状況では、子どもの教育のために
住居を度々変えるというのは難しい。
せめて居住地を替えずに家の中での『三遷』を、試みるしかない。
潤平たちのママとトウチャンはどう感じているだろうか。



梅・薄紅実座論(うすべにみざろん)
万博公園にて