偶然と必然の中での新たな出発

常々『人生は偶然と必然の狭間にある』と感じている。
何が偶然であるかは判断できるが、実はその判断が己の誤解であり
必然だったかも知れない。


良かった、良かった!と
我がことのように宿ハチさんが喜んでくれるのは、
或る「認定講師」を予想以上に早く取得したことに関して、である。
たいしたことではないとわたしは思うのだが
彼は、本人以上に喜びを表してくれる。
わたしの方向転換を薦めた本人だから責任を感じているからだろう。



退職と同時に着手したいと永年進路を温めていたわたしは
思うところがあり、それを断念した。
永年の目的を実行に移す段階で、軌道修正したのには
それなりのわけがある。
しかしそれを断念するには、なかなか勇気のいることで、
あきらめきれない気持ちをかなぐり捨てての選択だった。
その決断を推したのが宿ハチさんだった。


新たな進路は、水彩ソフトを使った「パソコン絵画」である。
以前からその存在は知っており、時にはそれを用いて遊んではいたが、
本格的に始めたのは、退職後である。


日進月歩で開発されるパソコンとそのソフトの開発に沿って
進展し、歴史が短い新しい領域だ。
確かな指導者を探した。
作風や画風の好みもあり、ましてや新分野である。
自分の意に叶った「師」を選ぶことは難しい。


模索をしながらも、とりあえずは世間で普及しているPC教室の
絵画コースなる受講を始めた。
昨今の教室というのは何事も「ビデオ学習」が多く、一方通行の
対話のない授業である。
ソフトやツールの操作方法を教えても肝心の絵が描けず、
色彩感覚の貧しいインストラクターが多い。
こちらの質問には回答できず、その対応は心もとない。


業を煮やしたわたしは、ならば自分でやろう!と
作風が自分の好みに合い、内容も信頼できそうな著者の本を買い、
ひとりで描き始めた。
身近に訊けるひとがいない、というのは辛い。
さっと疑問や質問に答えてくれる人がいたら
どんなにいいだろうと何度、思ったことか。


始終わたしは宿ハチさんにそのことをこぼし、ぼやいた。
『馬鹿なことを言うな。学ぶには師はいらない。己との戦いだ。模索しろ。悩んで悩みぬけ、子どもではあるまい。 道は必ず拓ける』と
叱咤される始末である。


『毎日定めた時間に必ず机に向かい絵筆を執ること。
週末以外毎日、午前と夜分のそれぞれ2時間の緊張を
1年間継続できればモノになる』と宣託された。
せっかく仕事を辞めても遊ぶどころではない、
絵を描くことが楽しいのか苦しいのかわからない。


それ以降パソコンと、アナログでのデッサンに明け暮れるようになった。
考えてみれば、もともと似たような職種に就いていたのだ。
苦悶しながらでもやり始めると、色彩感覚を
取り戻せるようになりおもしろい。


そのうち、教本の著者と連絡を取るようになり、作品を送るようになった。
そして著者が活躍する東京のある大学での講義を聞いたり、
教室を訪れたりした。
その結果、門下生に加えてもらい全国にいるお弟子さんの
作品展も観てまわり、交流を持つようにもなった。


他人の作品をじかに見ることは勉強になる。
しかし相変わらず孤独での向きあい方である。
日々修行僧のように「作品を描くこと」を自分に徹する以外に策はない。


山の頂上すら見えない途方にくれる日々だ。
『過去20年間専門職として養った色彩感覚は大きな助けになる。
色は絵画の基本だ』という宿ハチさんの言葉を呑み込んだ。


まだまだ未熟で目指す目標は、遠い。
そうしたなか、思いもかけず「認定講師」の授与の連絡を受けた。
始めてから2年の歳月が経っている。
あと2年後ぐらいにはそれを頂けたらと、密かに願望していたものだ。


師は、パソコン水彩画の分野では日本の第一人者であり、
かつてはNHKで講座を受け持っており、海外でも活躍して
関連著作が多数ある。
このような先生のお墨つきをもらえるのは、身が引き締まる思いである。


一歩、一歩あせらず、道を歩もう。
つい数年前まで、このことが生活の中心になるとは考えてもいなかった。
人生の岐路なんてどこに在るのか、わからない。
まったく、そのときの選択の仕方で180度も変ってくるものだ。
これが偶然か必然かのいずれに拠るものかは、わからない。
確かな、新たな第一歩を踏み出すわたしがいる。