「くちなしの花」と,亡き夫

♪い〜までは、指輪もまわるほど〜♪
この時期になると、渡哲也の「くちなしの花」を口ずさみたくなる。
夫は声質が似ていたせいか、意外とさらりと上手に歌っていた。
くちなしの花一輪、カラオケの一曲にさえ
人間の思い出というのは、鮮明に甦るものである。



夫は闘病生活20年余年、死去して10年近くになる。
主のいない生活に慣れてはきたが
それでも何かの拍子にふっと思い出す。
何とも言えない寂しさが心を覆う。


前回のブログで「向精神薬」に触れた。
薬害に神経質になるのは、夫がたっぷり被害を被ったからでもある。
薬に関する懐疑的なことは数多い。


入退院を繰り返していた夫は、同じ病院の中でも担当医が
変わるたびに薬の量や種類が増えたり減ったりしていた。


ある時期など、のちに部長にまで昇進した女医は
薬を山のように処方していた。
いまほどネットも普及していない時代に、検索して情報を得ることもない。
かろうじて「薬の本」を買って、効能や副作用などを、調べるぐらいである。


指示どおりに飲むと腸が詰まり、からだの硬直など
重篤な副作用が次々と現れる。
ついに歩くこともできなくなり、車いすになってしまった。
入院したときは歩いていたのに!
なんということか・・・


医者や病院に対する不信もあり、転院を考えた。
けれど、わたしの職場と病院と自宅がトライアングルのように
近い距離にあるのが魅力で、変わることを決断しなかった。
今思うとなんと浅薄なことを、との悔いもある。


だんだん、重症化していく夫に救いの手が伸べられたのは
担当医が変わってからだ。
色とりどりの薬の山に疑問を持ち、検証してくれ
一つずつ、薬を減らしてくれたのだ。
ほどなく歩けるようになり、車いすも杖も手放すことができた。
医者の見立てひとつで、これほどの差があるのである。


またあるときは、長い入院生活に鬱的症状が出ると
睡眠導入剤とともに「向精神薬」と称する薬を投与された。


そのときの衝撃を今でも忘れることができない。


仕事で、3日ほど家族が見舞いに行かない間に夫は変貌していた!
どのように変わっていたか・・・
今思い出すのも辛い。


目がうつろになっているかと思うと、突然凶暴になり
目が酔っ払いのように座り、怖い目つきになっている。
よだれをたらし、看護婦(当時の呼称)さんに暴言を吐いたりしている。
まだあるけれど、書けない・・・。


あまりの恐ろしいまでの変わりように戦慄が走った。
信じられない。
いったい何があったのか。
夫は短期間のあいだに廃人のようになっていた。


処方された薬のせいではないのか?
医者や看護婦に詰問した。


それでも埒があかない。
わたしはすべての薬を黙って捨てた。
「看護婦さんに飲んだかと訊かれたら飲んだと答えて」と、夫には言った。
一番身近にいる家族が、病人の変化に気づく。
素人目にもこの急激な変化は、わかる。
医者の見立てやコンピュータでのデータが正しいとは限らない。


薬を一切飲まなくなると、凶暴な振る舞いが無くなった。
無表情な能面に笑顔が戻り、以前の温和な夫になった。
わが身は自ら守るしかない。


医療に投薬は必要である。
しかし正しく、適正な量と種類が処方されることが大前提だ。
見極めも大切で、疑問に思ったら今はオピニオン制度もある。
自分に合った医者や病院を探すことも、わが身を守ることになる。


久しぶりに「You Tubu」で渡哲也の若いころの歌
「くちなしの花」を聴いた。
懐かしい夫の声が、聞こえてくるようである。