真剣勝負

 

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  赤いマンサク、珍しいです。万博公園にて

 

大阪にある桜ノ宮高校の『いじめと体罰』問題が、連日マスコミを賑わしている。

自殺した生徒の家族、当該校の生徒や教諭、行政(これも市、府、文科省など多岐にわたる)、評論家や弁護士、労働組合、警察など多くの関係者がでてきている。

この『学校のいじめと体罰』問題が端緒になり、

今度は柔道界の『指導時の暴力』に発展してしまった。

 

前者は教育の場の問題であり、直接学問に関する事項ではない。

人間社会の縮図だから、解決などはありえない。

(わたし個人としては、「どうして生徒が自殺するに至ったのか」の

解を得ていて、さもありなんと解釈しているが、ここでは触れない)

胸が痛む。

 

後者のスポーツ界の暴力問題は、大人の世界の出来事であり、

そこには純粋のスポーツ指導論から、金メダル獲得と

さらに個々の利害得失まで絡み一朝一夕には、解決されないだろう。

 

先日、娘宅の台所で孫たちにリンゴをむいていると  

4歳の孫娘が壁によりかかって話しかけてくる。

「あのなぁ、ばぁばはホウチョウもって、あのぉ・・ママにぃ・・」と

ふだん流暢に話す4歳が懸命に何かを言おうとしているのだが、

さっぱりわからない。

 

いつもはリビングで「果物ナイフを使っている」ばぁばへの素朴な質問かと思い

「え?ママが小さいころ、ばぁばは包丁でリンゴをむいたかって?」と

4歳に訊き返すと、リビングで洗濯物を畳んでいた娘が大笑いして

「違うやんかぁ!」という。

 

「ママが小学生のころ、包丁を持ったばぁばに追いかけられ、

そのあげくベランダにほおり出されて、鍵をかけられて怖くて泣いた」という

話を二人にしたのよ~

 

「ボク」を最近、「オレ」というようになった潤平(6歳)

ママに同情しつつも泣きだしそうに、

「そしたら、オレらもママにほおり出されるん?」と聞いていたわぁ!と笑う。

 

「ひぇ~っ・・・そんな物騒なムカシの話し・・・。」

「ベランダにアンタをほおり出したのは、おぼえているけど

包丁持って追いかけた?そんなン知らんわ」と、とぼけた。

 

まったく!娘の奴め、可愛いチビたちにそんなことまで話さなくとも!

だいたい何でもかんでも話し過ぎなのだ。

ママは、ばぁばとじぃじに厳しく育てられたと

子どもたちに教えたいのだろうけれど。

 

いまどき、子どもをベランダにほおり出して鍵かける仕置きなど

即刻、隣近所から「虐待ではないか」と通報されかねない。

現に日々3人の子育てに追われるママは、ときに髪を振り乱し

大きな声で怒ることもあり、泣き声がマンション中に響き渡らないかと、

慌てて窓を閉めるそうだ。

 

考えてみると子育ては、一大事業である。

日ごろ可愛い、可愛いと舐めるようにチビたちを育てているママも

そうとばかり言っておれない状況が多々あるのは当たり前だ。

鬼の形相で、子どもたちと真剣に渡り合わないといけないときもある。

 

反抗期を過ぎるころまでは、親も子も気持ちのうえで波乱万丈なことが多い。

泣いたりわめいたり諭したり、慰めたりを繰り返しながら、

親も子も成長していく。

そして真に、子どもの身を守るのは親しかいないように思う。

 

生存のための食料や住居の確保の課題から解放されれば、

古来から、親は子どもの躾を慮って養育してきたはずだ。

社会がグローバル化して複雑になるにつれ、子どもを育てる

環境の厳しさが増してきていることは事実である。

 

また今日の核家族は、子女の養育には必ずしも良いことばかりではない。

身近に世代の違う親や近親者がいると、親自身や子どもは救われる。

彼等から、生きる知恵が授けられるからだ。

わたし自身「嫁」であったころ、姑や周りのひとにずいぶん助けられた。

 

あたら若い命を散らすことのないよう、親はいかなることがあっても

追い詰めず、子の味方であり、子を守り、子どもの心に沿っていける

親でありたい、と願う。

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茶色のマンサク、同じく万博公園にて