ときどきお邪魔しては、ほんわかとした温もりと懐かしさを覚えたりする。
幼少時のお子さんに買い与え、いまお孫さんに読み聞かせて
おられることで、子育てを大切に慈しんでこられたことが想像できる。
またボランティアなどで現在も絵本に関わっておられるのだろう。
実に様々な絵本が登場する、楽しみだ。
示唆に富んでいる。
まったく初めて目にするモノもあり、関心が深まる。
また開いてみたいなぁと思う。
心にすっと入っていくような気がする。
引越しのたびに子どもの成長とともに、不用品扱いして
どんどん捨てたのだ。
部屋が狭いなどの理由で、娘たちが使っていたピアノも
お隣の小さい子に使ってもらうなど、惜しげもなく手放した。
お隣も迷惑だったろうに・・・。
とにかく、よくモノを捨てていた。
絵本もそのたぐいである。
読み聞かせにしても、息子や娘たちが3~5歳ぐらいまでのことで、
以降、それほど読んでやってはいない。
夫の病気発症で絵本を読んでやるどころではなかったというのが正解か。
生き死に瀕する日々だったから、生活の中心は闘病の夫のこと
生活のことでいっぱいだった。
もらえなかった反動からか、3人のチビたちにはあふれるほどの
絵本を買い与え、そして読み聞かせをしている。
かといって、母親に対する不満を口にしたり、批判するでもなく
淡々と自分のやりたいように子どもたちと向き合っている。
大きな違いがあり、それは本人も納得しているようではあるが
ときどき、それらのことを思い出してはわたし自身、胸が痛くなる。
絵本もそのひとつだ。
子どもたちの躾には厳しかった。
本人は愛情ゆえと思っているが幼い子どもたちには理解しがたいほどの
厳しさだったようである。
外で仕事をしているわたしと違い、日中家にいることが多い夫は
よけいにその傾向が強く、箸の上げ下ろしや食べ方などの
叱責を思い出しては、いまだに娘は口にする。
当の本人は逝く前に、涙をこぼし後悔の念を口にしていた。
わたしも数々の失敗や後悔をやはり死ぬ寸前に思うのだろうか。
絵本を読んでやっているとき、懺悔にも似た苦い思いがよぎる。