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絵本の愉しみと、哀しみと

家族

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 ある方のブログでは絵本をテーマに毎日綴られている。

ときどきお邪魔しては、ほんわかとした温もりと懐かしさを覚えたりする。

幼少時のお子さんに買い与え、いまお孫さんに読み聞かせて

おられることで、子育てを大切に慈しんでこられたことが想像できる。

またボランティアなどで現在も絵本に関わっておられるのだろう。

実に様々な絵本が登場する、楽しみだ。

 

 絵本は大人が読んでもおもしろい。

示唆に富んでいる。

 

 紹介されている絵本は、かつて手元にあったものや

まったく初めて目にするモノもあり、関心が深まる。

また開いてみたいなぁと思う。

心にすっと入っていくような気がする。

 

 かつて子どもたちに買い与えた絵本は、わが家には1冊もない。

引越しのたびに子どもの成長とともに、不用品扱いして

どんどん捨てたのだ。

 

 高度成長期の真っただ中、貧乏暮らしにしてはモノが多い生活をしており

部屋が狭いなどの理由で、娘たちが使っていたピアノも

お隣の小さい子に使ってもらうなど、惜しげもなく手放した。

お隣も迷惑だったろうに・・・。

 

とにかく、よくモノを捨てていた。

絵本もそのたぐいである。

 

 しかし実をいうと絵本に関しては、そう多くはなかった。

読み聞かせにしても、息子や娘たちが3~5歳ぐらいまでのことで、

以降、それほど読んでやってはいない。

 

夫の病気発症で絵本を読んでやるどころではなかったというのが正解か。

生き死に瀕する日々だったから、生活の中心は闘病の夫のこと

生活のことでいっぱいだった。

 

 子どもたちは知らないあいだ成長したと言う感がある。

 

 結婚して子を成した娘は、かつて母親にしっかりと絵本を読んで

もらえなかった反動からか、3人のチビたちにはあふれるほどの

絵本を買い与え、そして読み聞かせをしている。

かといって、母親に対する不満を口にしたり、批判するでもなく

淡々と自分のやりたいように子どもたちと向き合っている。

 

 娘が子育てをしている環境と、幼少時の彼女たちが育った環境とは

大きな違いがあり、それは本人も納得しているようではあるが

ときどき、それらのことを思い出してはわたし自身、胸が痛くなる。

 

絵本もそのひとつだ。

 

 夫は生前、明治生まれの父親の影響を受けていると言っていたが

子どもたちの躾には厳しかった。

本人は愛情ゆえと思っているが幼い子どもたちには理解しがたいほどの

厳しさだったようである。

 

外で仕事をしているわたしと違い、日中家にいることが多い夫は

よけいにその傾向が強く、箸の上げ下ろしや食べ方などの

叱責を思い出しては、いまだに娘は口にする。

 

 「ちょっとスパルタ過ぎたかなぁ」

当の本人は逝く前に、涙をこぼし後悔の念を口にしていた。

わたしも数々の失敗や後悔をやはり死ぬ寸前に思うのだろうか。

 

 二歳になるチビスケを膝に抱き、五歳、七歳にしんみりした声音で

絵本を読んでやっているとき、懺悔にも似た苦い思いがよぎる。

 

 「人生長ければ、恥多し」だ。