意外性

意外性が好きだ。
イメージと現実との違いがあるほど、それはおもしろい。
抱いていた感じとのギャップがあると関心の度合いが膨らむ。
人との出会いもそうである。


先週、東京の下町でお会いした方もそんな意外性たっぷりの人だった。
非日常的な部分でのつながりで、はかなく意識の彼方から
消えていきそうな、小さな時間だったけれど
脳裏にはその印象が、人間性が、深く刻み込まれている。
何と言う不思議な、おもしろい世界なのか、と思う。


時々、わたしはネットを通じて知り合った方と
上京の折にお会いすることがある。
そのなかで意外性に富んだ魅力的な女性のことも
ついにこのブログで紹介した。


またユニットを組んでいるあるミュージシャンとの出会いも
ネットを通じての出会いである。
ギターとパンフルートが奏でる、哀しげな民族的な
匂いのする音楽に惹かれて、それが高じ
彼らを関西に招きコンサートを開催したほどの
熱いつきあいに発展した。
今でも日程がうまく折り合えば
彼らの追っかけをしたい心境である。


まったく人間の触れ合いはどこに転がっているか、
わからないと、つくづく思う。


話を元に戻そう。
先週会ったそのひとは、シニア・ナビで感性豊かな
ブログを綴っているひとである。
時々、わがブログへもコメントをいただくが
その短い文章のなかに風刺あり、激励あり、辛口甘口混合の
エッセンスがあり、魅力倍増である。


初めてお会いしたひとと、お酒を呑み、といっても
最近こちらは飲んでいないので、ビール一杯ほどで
もう眠たくなる、そんなわたしを相手に快く、おいしそうに
お酒と料理と会話に舌鼓をうってくれる。
もてなし上手のホスト役ばっちりの人である。


「侘び助」のマスターや「ユロット」のママの
ふんわり、温かみを感じさせる人との交流を大切に
していることからも、彼の人間性を彷彿とさせる。


そんな饒舌で、熱い人間味を感じさせる人が
わたのイメージのなかではまったく逆だった。
寡黙でシャイでどちらかというと人間嫌いな感じを受けていたのである。


青年の感性漂う詩を、書いているひとが目の前にいる。
どう考えても一致しない。
思い出すだに、イメージとかけ離れていて[意外性]
という言葉を反芻する。



ひとが勝手に抱くイメージはおもしろい。
はずれると、一層愉快に感じる。
夏の終わりに共有したささやかな時間を、会話を
時々思い出し、悦に浸るわたしである。