人の行為の動機付けは「報酬」?

「○○君、よく出来ました」と言われたいばかりに、
低学年の生徒はいっせいに元気よく、はい!ハイ!と手を挙げる。
小学校で先生から答を褒められて嬉しかったことは
わたしばかりではない。
幼いころに人の前で褒められた、晴れ晴れしい気持ちは
還暦を迎えた今も残影として心にある。


電車のなかで席を譲る。
階段の途中で、重たそうにしている荷物を持つのを手伝う。
いつもニコニコと相手の話を聞く。
さわやかな笑顔であいさつを、する。
何気ないこのような行いのあと、何となくこちらも
満たされた気持ちになることは、ないだろうか。


そして、東日本大震災以後、ボランティアや寄付行為が毎日
報道されている。
しかもそのほとんどが美談である。


大震災以前の昨冬にはランドセルなどを施設に贈るひとが次々現れた。
このような菩薩行ともいえる行いができるのは、なぜなのか。


ひとつには自己満足であるにしろ、気持ちがいいということと
他人からの「称賛を求めている」からだと、
ある心理学者が語っていたことを思い出す。
確かに、誰かに認められたい、褒められたいという願望は
生まれながら誰にでもある。


それを裏付けるような記事をN紙のなかにみつけた。
「利他的行動、何が動機?」と題したコラムである。


カリフォルニア工科大学の出馬研究員は
「他人のほめ言葉も脳の中では報酬になる」と指摘する。


更に『他人のために善い行いをすることを利他的行動というけれど
脳科学や心理学からみると必ずしも「無償の行為」とは言えない。
人間の行動を決めるのは「報酬」だ。
それは金銭や名誉と言ったものでもない』と。


なるほど、震災で寄付をし、現地へ出かけて瓦礫の撤去に
あたるなどの行動を自ら進んですることを脳が喜んでいるのか。


出馬研究員によると・・
「人が褒められたときの脳の活動をMRIで調べると、
食べ物や性的刺激、金銭といった報酬を得たときに
活発に働く「線条体」と呼ぶ部位の血統が活性化し
脳が、他人の評価は金銭的報酬と同じ」と,捉えているのだそうだ。


また「自己満足でも、金銭的報酬と同じ効果があるのではないか」と話す。


それは、どういうことかというと・・・。
「カギを握るのがドーパミンという脳内物質で
分泌すると快楽神経にスイッチが入り、人は心地良さや
快楽を感じる」のだそうだ。


また利己的遺伝子の研究で知られるD博士らの主張では
「利他的」と見える行動も実際は「利己的」なのだ、という。
褒め言葉や他人の評価という「自分の利益」を得るために
人間は利他行為をするという解釈が成り立つのだそうだ。


この基準に沿うと匿名の寄付行為はどうなのか。
社会で話題になれば報酬になるだろうが
始めたひとはそれを狙ったわけではないはずだ、という。


利他行為をすると脳の中の「報酬系」と呼ぶ神経回路が働き
ドーパミンが分泌される。
利他行為は、気持ちがよくて「脳は利他的に振舞うように
進化したのではないか」と京都大学のM教授は言う。


そしておもしろいことに、利他行為がどんな人にとっても
快感だとは限らないということである。
強制されたわけではないのに義務感からボランティアや
寄付をするひとがいる。


このときも、脳内で報酬系が働いているのかは疑問だと言っている。
義務感のとらえ方が難しく、複雑な人間の心理追及は一筋縄では
いかないようだ。


昨今、仕事をリタイアしたひとのボランティア活動もさかんである。
わたしも少なからず、ささやかなことに関わっている。
「他者への行為」を無償の気持ちで行っているけれど
脳が喜んでいるとは知らなかった。


社会がギスギスしてくると人との関係が希薄になる。
人間にとって心地よいのは、「あなたを大切に思っている」という
他者への意思表示ではないだろうか。


相手が喜ぶ言葉を発したり行動をするなど、
また他者を受け入れたすることは
永年連れ添った老夫婦間、親子、兄弟姉妹など、
どの関係にもまず求められる。
わたしも、さらに実践したいと願う。