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悲しみと怒りと

「児童虐待」このことに触れると、どうしようもない怒りが湧く。
そして胸が塞がる思いが強い。


大阪市内の小学2年の男児が、先月26日親の暴行によって命を落とした。
子どもの虐待死は、1月と3月にも起きていて
共通する家族の背景は、再婚で妻の連れ子である場合が多い。
両親や義父による虐待があとを絶たない。


母親自身の経済的自立を支え、男性に依存しないで
子育てを支援する方法はないものだろうか。


このような子ども受難をどう受け止めたらいいのか。
いったいどうすれば、悲劇を防げるのか。
悲しみと怒りは増すばかりである。


過日のY紙の記事は
厚生労働省によると、全国の児童相談所
2011年度に児童虐待の相談・通報を受けて対応した件数は
5万5152件で、前年度より1万941件増え、過去最高だった。』
としている。


子どもの虐待に関し、世間の意識が高まっていることが
背景にあるとしたうえで、
どんな場合に通報すればいいかと投げかけている。
虐待を疑うべきサインとして


① 体によくあざを作っている。
② ひどい鳴き声や、親の怒鳴り声が聞こえる。
③ 衣類や体がいつも汚れている。
④ 夜、何時間も外に出されている。
⑤ 学校に行く姿をあまりみかけない。
⑥ 表情が暗く、おどおどしている。


ということが挙げられ、心当たりがあるときは
ためらわず通報してほしいという。


児童虐待防止法で通告者の秘密は守られると
大阪府立大教授の山野則子氏は語る。
更に『通報することに犯罪を密告するような
後ろめたい気持ちを抱くひともいるだろうが、
SOSを必要としている人への手助けなのだと考えて、
通報することが親子の支援につながることにもなる』と指摘している。


確かに近所で子どもの虐待を疑っても通報するには勇気がいる。
わたしも、かつて隣の乳児の激しい鳴き声が、毎日のように続き
虐待ではないかと心配したことがある。
管理センターに連絡したけれど何も手を打たない。
毎日ハラハラしながら見守り、やっと
隣のインターフォンを押すまで1年かかった。
それほど勇気がいるし、相手に対する慈悲がないと
できない行為でもある。


意外にも明るい声で対応してくれた若いママは
その後、時々赤ん坊を見せにわが家の玄関に顔を出してくれた。
「何か困ったことがあったらいつでも相談して」と伝えると
安心したように、にこやかな表情をみせてくれたのだ。
少しの声かけがママの気持ちを和らげ、赤ちゃんに向ける
まなざしが柔らかくなるような気がしている。


先の記事にあった小学生の虐待の場合も近所のひとは
父親の怒鳴る声や、子どもの激しく泣く声にも気付いていたという。
それでも「親子の関係が悪くなったらいけないから」と
通報をためらっていたようである。


子どもの通う学校でもアザをみて虐待を疑い、
再三児童相談所に通報をしていたにも関わらず、
「緊急性なし」と判断され見過ごされ、このような悲惨な結末をみた。
行政の担当者もきちんと対応できなかったと非を認めてはいるが
危機管理意識の欠如と非難されても仕方がない。


この問題はとても難しくて、一朝一夕に片付けられない。
夫婦、親子、経済的なことなど多岐にわたり、要因は複雑だ。
しかし、まわりが気づいていながら手を差し伸べられなかったと
いうことが残念でならない。


前にも書いたけれど、かつては近隣のコミュニケーションの場として
「井戸端会議」があり年長の「お節介おばさん」が
若いお母さんに子育ての知恵を授け、時には子どもを
預かるなどして、母親に風穴をあける役割を担っていた。


今は、密室で親子が向き合っているとき
母親が孤立しがちになる。
ささいなことが積み重なりストレスとなり
そのはけ口が子どもに向けられることが少なくない。


子育て中の若いママや子どもを周囲が温かく見守ることも
母親を追い詰めなくて済む要因のように思われる。


家族の形態も多様化し、子どもを取り巻く環境も複雑になっている昨今
そのことに配慮しながらの通報も役立つだろうけれど
もっと身近に救いの手を差し伸べられたらいいなぁと思う。