過去は安い本と同じ、読んだら捨てればいい。

明るい方へ、
明るい方へ。
――――詩人 金子みすず



梨の花(万博公園にて)



ある精神科医のエッセイから

ミサワホーム社長の三澤千代治さんは、入社試験のとき
必ず最後にこう尋ねることにしているそうだ。
「あなたは運のいい人ですか?悪い人ですか?」と。
そして「すごく運のいいほうだと思います」と
答える人間を採用するという。

どんな人の人生の中にもアップダウンは、ある。
そこに違いはない。
違いが分かれるのは、それを運が悪いと捉えるかどうかだ。
運が悪いと思い込む人は、周囲まで、いや会社全体にまで巻き込んでしまう。
それが三澤さんの質問の理由である。


ということで・・・


わたし自身は、大きな声で「運がいい」とも言わない代わり、
いつも楽観的である。
なんとかなるさ、で60年ほどを生きてきた。
そして何とかなってきた。
これからも何とかなるだろう、と思っている。


おまけにわたしは、どちらかというと「性善説」的な見方をする。
人の好いところがある。
辛口なわりには、親しい人間にはめっぽう弱い。
いいほうを、いい面ばかりを見ようとする習性がある。


また一方では、物事は常に表裏一体であり
良いと思えるなかに隠されたウラの真実を見抜く目も持ちたいと願う。
複眼でモノを見よう、鳥瞰図的な捉え方をしたいとの思いもある。


昨日のブログで触れた「明るい離婚」は、当事者への思いもあり
核心にあえて触れなかった。
読んでくださった方は、稚拙な表現に
消化不良を起こされただろう。


ブログを読んだ方から「彼女は嘘をついているのではないか」
「虚勢を張っているのでは」とのご意見も頂いた。
それは当たっているかも知れないし、そうでないかも知れない。
しかし、わたしと彼女とのあいだには何の利害もない。
彼女が虚勢を張る必要もないように感じられる。


でも人間を見る目を養う意味でノーテンキなわたしは
ありがたい言葉と受け止めている。


わたしは目の前にいる彼女の表情と言葉から
あるがままを、受け止める。
懊悩する心の叫びが出てきたならば
またそのことを受容するまでである。
人にはそれぞれ事情があり、本人が気付かない心の闇もある。
うまく伝えられない不器用さも併せ持つ。


彼女が語ってくれるひと言、ひと言を詮索しないで聴く。
有名人の講演ならば、そんなに明るい離婚なんて
「ほんとかなぁ」・と首をかしげるかも知れないが・・・。


しあわせの形も離婚の形も千差万別。
彼女が、このことをひとつの契機として
いいほうに捉えていることが救いである。


明るい方へ
明るい方へ・・・
彼女には、この言葉がぴったりである。