「あなたに手紙を書きたいのよ」

このひと言で知人は、相手のご婦人に住所を教えた。
物事を伝えるのでも「言葉の選び方ひとつ」で
心を突き動かされるものだ、としみじみ言う。



以前「歌舞伎座の華になる」に登場した友人は
機嫌良く職場である歌舞伎座に通っているが
70歳を越して満員電車に揺られ、早朝から夜までの
勤務はさすがにこたえるらしい。


「家にいるとお金も使わなくて済むけれど
出るとコーヒー代や余分な買い物をして出費もかかるのよね。」


「3人の子どもたちから多少の支援をうけて暮らす方が
よほど楽かもと思うこともあるのよ・・・」
彼女には別居中の夫がいるが、少ない自分の年金だけで
やりくりする生活である。
だから高齢になっても声がかかれば喜んで出向く。
「仕事があるだけありがたいわ」が彼女の口癖だ。


そんな彼女も働く意義として「報酬」だけではなく
相対するお客様や、同僚との何気ない出来事に感動したり、
勇気づけられたりがあるから、それはそれでおもしろいと
いくつかのエピソードを語ってくれた。


そのなかのひとつ・・・
「あなたに手紙を書きたいのよ」と言ってくださった御仁は
彼女より10歳ほど年長のご婦人であり、ある有名タレントの母君である。


歌舞伎座で座長を務める大阪の某タレントは、
千秋楽まであと5日を残すころ、突然「風邪をひいて」
公演に穴をあけることになった。
舞台に出られないというのは、よほどのことである。
(鼻息荒い彼は、たぶんケンカでもしたのでは?というのが彼女の憶測)
代理が急きょ出演して公演は、無事終了したのだが
20日間ほどの会期中、ずっと子息のために通い詰めて
いたのがそのご婦人である。


日替わりのように着物を替え、襟をきりっとしめ、背筋を伸ばし、
会場に訪れる高齢の母君の姿に、同じく似たような世代の
息子を持つ彼女のこころが反応したのも無理はない。


チケットと弁当をセットにして毎日、観客を動員しているのだ。
「招待者に先生、先生・・と呼ぶところを見れば
子息の出身大学の関係者か・・・」。
しかし、肝心の座長をつとめる主役が出ないでは、話しにならない。
ずいぶん、やきもきして胸を痛めたことだろう。
可愛い息子のためなればこそ、できることではある。


「わたしは80歳になって、あれだけ子どものためにできるだろうか」と
彼女は自問し、婦人に対する感動の度合を深めた。
共感などしてもそれ以上関わらないのがフツウのひと。
わたしもその類である。


ところが彼女は、ご婦人に労をねぎらう意味で
地元産のおいしいカステラを差し入れた。
そのカステラでさえ彼女のこだわりがあり、
わざわざ取り寄せたものである。
彼女の慈愛の深さである。
最終日に共演者へのそれと間違えられないよう配慮し、
手紙を添え、渡したという。


そして婦人から冒頭の言葉が返ってきた。
「お礼は要らないけれど80歳の人からの手紙なら欲しい」
その気持ちが強く、住所を教えたのだ。


ほどなく達筆な字でしたためられた婦人からのハガキが届いた。


「相手に負担を感じさせない言葉は、
相手のこころを動かす強い魔力がある」彼女は学んだ。


自称「歌舞伎座の華」は、まるで女高生のように
眼を輝かせ、わたしに話してくれる。


天下国家を揺るがす大きな仕事に携わっていなくとも
日々の小さな出来事をしっかり受け止め、他と
関わっている彼女は、やっぱり「華」がある。
彼女の内面にたっぷり巣食う心の葛藤や苦しさが
あるから、今の彼女があるのかも知れないと思ったりする。