タヌキはどこへ行った?

毎朝、川べりを歩いている。
散歩コースとしては、ちょうどいい距離だ。
往復、1時間ほどのウォークで
川の有り難さを存分に味わっている。



越して来るとき間取りや日当たりや、駅からの徒歩時間などに重きを置き
小さな川の存在など論外だったのに
住んでみると、この恩恵は大きい。


川べりには樹齢100年を超すような大木が多い。
木は自然に生えてきたものと見え、その子孫が飛んでいき
あちらこちらに増え、一層樹木を茂らせている。
歩いていると涼しく、木の霊気をもらうような感があり、
川からの涼風も心地よい。



この川べりに個人が所有する雑木林があった。竹林に交じって、シイの木やドングリや、ヤブツバキなども高くそびえていた。
夏の終わりから、ドングリやシイの木は、緑の可愛い実をつけやがて秋の終りになると、茶色の帽子をかぶり立派な実に成長する。

いまどき、ドングリの実など珍しく思うわたしは密かに見つめてはひとり嬉しがっていたものである。





ところがこの雑木林が変身したのは、この初夏のことである。
ばっさり木々を倒され見事な平地になった。
ピンクの「ハマナス」や、「のうぜんかづら」なども景気よく切り取られ、
かろうじて「のうぜんかずら」は根が残っていたものと見え、
雑草の中に鮮やかなオレンジ色の花を見せていた。


「ああ〜良かった!残っている!」と安堵したのも、つかの間
生い茂る雑草と一緒に、また根っこから切り取られ
葉っぱも花も無造作に捨てられているではないか。


ええ〜っ、悲しくなった。
せめて道路沿いにある花たちだけでも残して欲しかった。
整地するひとのセンスを疑う。


残念がって跡地を眺めていると、同じく散歩者が傍に来て
「あのタヌキの親子はどこへ行ったんやろう?」という。
「え?タヌキがいたのですか?」
「地域のひとは皆、知ってますよ〜、いたんです」
タヌキの親子が住んでいたなんて初めて知った。



住人は寂しがっているのか、居なくなってホッとしているのか。
安住の地を追い払われたタヌキに、同情するのはわたしだけか・・・。



河川敷には、カンナ、タチアオイ、ハマナスなどが
草の緑とあいまって鮮やかなコントラストを見せていたが
こちらも機械を使ってみごとに坊主にされている。


「ええ〜っ、花は邪魔にならないし、残したらどうですか!」
声を大にして叫びたい気持ちである。
まさに根こそぎって感じだ。
市の環境課に文句を言ってやろうか・・・
憤怒が消えない。


澄んだ川には、シラサギ、親子のカモが優雅にたたずみ
亀の夫婦?や、よく肥えたコイの群れの周りを小さい魚が
囲むように後をくっついて泳いでいる。
共存して生息しているようである。
ずっと眺めていても飽きない。


これらもまた姿を消してしまうのだろうか。
年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからずだ。
無常をも感じる。