子どもの「自死」について

 

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わが国の自殺者は年間3万人余りもあり、先進国のなかでは

断トツに多い国情に世界の耳目を浴びている。

 

最近も小学校の児童が学校の統廃合に抵抗して、身を賭して自殺した。

女子中学生が部活のなかでいじめに遭い、鉄道自殺に身を投じている。

また、また・・・である。

年端のいかない児童のそれには、驚愕し胸が塞がる。

 

子が親より先に逝くことほど、親にとって辛いものはない。

遺族の心中は、いかばかりか。

また親だけではなく「自死」の場合、関わった近親者、学校関係者、

友人・知人なども衝撃を受け、自らを責めるという。

 

どうしてこうも子どもたちが「死に急ぐのか」

年少の子どもの場合は、ある出来事に対して短絡的に反応し、

突発的に自殺に及ぶことがあるようであり

また背景には、親の問題、心の病、本人の性格特性、

教育関係者の問題(教師の未熟)なども挙げられ、単純には原因を特定できない。

それまでに積み重なった「因」が昂じて、直前の出来ごとが

引き金になり、死につながるという。

 

「子どもの自殺」を報じるマスメディアは申し合わせたように

遺族が学校側の監督責任を責め、原因追求に走る様子を映しだす。

また繰り返し子どもの映像が映し出され、一種「英雄視」されかねない、

憐憫のような情景を作り出していることも否めない。

 

秘匿された情報をあぶり出し、問題視して世論を問うメディアのありかたを

評価する一方で、報道の仕方によっては、子どもの自殺を誘発する危険も

指摘されており、一考の余地があるように感じる。

 

子どもの自殺の背因をさぐることも当然であり、当り前の感情と思える。

しかし、子どもが自ら命を絶った場合、あるいは断とうとしているときに

親や学校、近親者は「どうしたら子どもを死なせずに済むか」

「子どもを守ってやれるか」に力点が置かれているだろうか。

物事の本質を見極めていないように感じるのはわたしだけか。

いつも後手後手にまわり、責任転嫁しているだけでは問題の解決にはならない。

同じような悲劇が繰り返されるだけである。

 

わが子が死ぬほど思いつめたり悩んだりしたときに

「ものごとは思い通りにはいかない」

「いま置かれている状況や環境がゼッタイではない」

「選択肢は他にもあるということ」を親がしっかり認識し

柔軟な気持ちで、子どもと対峙する必要がある、と思える。

 

「どんなことがあっても死んだらあかん!」と繰り返し、子どもに教え込む。

「自殺予防」の観点から、物事をみる必要があるのではないかと、わたしは思う。

 

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