ぜったい死ねない!

予期せぬことの遭遇はあるものだ。
誰もが平安で健やかな一生を、と願う。
しかし、空から車が降ってくる時代である。
事故に巻き込まれ、命が失われるニュースもあとを絶たない。
心身のストレスからの突然死なども、珍しくなくなった。



前述の「自称・後期高齢者」は、友人Aさんのことについて語る。
「最近ようやく笑顔が戻ってきて安心しているの」
「お孫ちゃんが学校へいくようになり公文などもあるから
今日は5時まで時間があるのよ〜」と一緒に
お茶を飲む余裕ができたことを喜んでいる。


Aさんは70代の半ば、夫は教職を退いた後、私的機関で
しばらく働きその後、脳梗塞を発症。
後遺症で酸素が手放せない状態にある。


数年前にAさん夫婦は、娘さん家族と一緒に住むために2世代住宅を建てた。
その引越しの1週間前に、お嬢さんは百貨店に買い物に行き、急死した。


悲しみの渦中にあるなか、予定通りに娘の家族が越して来た。
娘のいない娘家族との同居である。
そしてあろうことか・・・
その1年半後に、婿が同じように突然、旅立ったのである。


朝食の準備が終わり「パパを起こして来て」と、孫に言い
なかなか2階から降りてこないので見に行くと
冷たくなっていた・・・ということだ。


わずか1,2年のあいだに、娘も、婿も喪った。
胸中はいかばかりか・・・。
あとには3歳と小学校に入ったばかりの男児2人が遺された。


悲嘆にくれている暇はない。
残された孫二人を育てなければならない。
当時3歳だった孫もいま、小学校へ行っている。
二人の兄弟は、両親のことを一切口にしない。


残された二人は仲が良く、子どもらしさを取り戻しているように見えるが
Aさんがたまに外出で遅くなると、下の男の子は
気が狂ったように「ばぁばを早く探して!」と案じる。
両親の死がトラウマになっている。


「だからわたしは絶対死ねないの!」
「下が20歳になるまでは死ねないのよ」


夫の介護も主治医や周りに援けられ、子どもたちも成長しているようである。


この話を聞いて鳥肌が立ち、胸がつぶれる思いがした。
そして数十年前に、幼い子どもを残して逝った義姉のことを思った。
夫の姉は30代にガンで早世している。


二人の女の子のあとに待望の男の子を授かったばかりだった。
人一倍子煩悩な義姉は、最愛の子どもたちを残して逝くことがどんなに無念だったか。
死期が近付くと、一人ひとりにテープでメッセージを残した。
男の子は、わが娘と同年齢である。
いまそれぞれ立派に成人し、家庭生活を営んでいる。


Aさんの娘さん夫婦や、残された子どものことを思うと不憫でならない。
まして一瞬のことである、子に残すメッセージもない。


わが家にも二人の子がおり、娘には3人の子がいる。
晴天の霹靂と思えるこのことは、決して他人事とは思えない。
神仏に感謝し目に見えないところで「徳を積む」しかないのか。


親は、ぜったい子どもを残して死んではならない、と思う。
しかし一方で、予期せぬことに遭遇するのも現実である。
人間の無情を思う。