わたしには、見えない。

 

「ほらネ!今、振るように手を挙げたでしょ」

1歳のチビスケにおっぱいを含ませながら娘が

ニコニコしながら笑うように、突然言った。

 

何のことか、さっぱりわからない!?

 

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「おやつ、要るひとぉ~」

ママが3人の子どもたちに声をかける。

「はぁい~」

1歳のチビもすかさず、嬉しそうに手を挙げる。

「そんな感じの手の挙げ方で、壁を見ているのよ~」

 

「へぇっ~~?」

「どういうこと?何の話し?」初めて聞く。

 

「しょッちゅう、あるわ~」

まるで誰かと話をしているみたいに、時には抱っこしているママの胸から

顔をのけぞらせるように、壁をみていると言うのだ。

 

「へぇっ~~~~?」と、また、わたし・・・。

 

「ジュンもかえでも赤ちゃんのころ、この後ろの壁に

向かってニコニコしていたわぁ」

「きっとこの壁に誰かいるのよ~」

「誰か居るって・・・?」

ホラーみたいな話に、またまたばぁばは、驚く。

 

「ベガも、リビングに放してやると、必ずこの壁のところで

左足をバンバンと2回叩いて反応し、壁を見上げてたわぁ」

 

娘のところは、孫たちが生まれる前からピーターラビットの物語に

出てくるような、茶黒い色をした背中の特に曲がった

丸いウサギを飼っている。

 

娘が、エサやりや糞などの掃除のためにゲージに入ると

「おんな」と認識して、足にスリスリしていた元気いっぱいのウサギだ。

もう、今はすっかりお爺さんウサギになり、ゲージの隅で

静かに口をモグモグさせているだけだが

発情期には、わんぱく小僧並みに走り回っていた。

 

その「ベガ」が人間と同じように壁に反応していた?!

「動物も赤ちゃんも大人に見えないものが見えるのよ」

 

「どーいうこっちゃ?」わけがわからない。

まったく・・・。

何度も言うが、初めて娘の口から聞く話である。

 

「きっとここの壁にだれかいるのよ!」

リビングのキッチンテーブルに腰かけているママの後ろの

壁面を指さしてきっぱり、言う。

 

壁を見て話をしているようだが、怖がってはいない?

すると、その誰かは??

「お父さんがいるような気がするわ」と、娘が言い、

あの世の夫が孫の顔見たさに遊びに来ているのではないか!と

わたしにも思えた。

 

父と娘というのはギリシャ神話にもあるように、

ほとんどの場合、仲が良い。

わが家も例外ではない。

けれど、箸の上げ下ろしどころか、「魚の食べ方が汚い」と

秋刀魚の腹わたまで、食べることを小学生の娘に強要したほど

うるさい面もあった。

 

いまだに娘は父親から時に受けた暴言とも言える叱責に

傷ついたことがある、というほど子育てには厳しかった。

舐めるほど可愛がってもいた子煩悩な夫が

娘のところに度々現れている・・というのもうなずける。

 

このような話を親しい友人に打ち明けると霊感の働く彼女は

「わたしもよく見るわ~」と、こともなげに言う。

彼女の婚家先のお姑さんとは、近所から羨ましがられるほど

仲が良くて実の娘と間違えられるほどだったらしい。

その姑が、やはり孫が生まれたときにじっと様子を見に来ていたというのである。

「護ってもらっているのよ~」

なるほど・・・

わたしも護ってもらいたいものだ。

いや、見えなくても守ってもらっているようにも感じている。

 

作家の佐藤愛子は、旅先の旅館や北海道に建てた別荘のなかで

さんざん霊に会っていることをエッセイなどに書いている。

同じように瀬戸内寂聴や三輪明宏なども霊を身近に感じるようで、

その対処の仕方などを著作で語っている。

 

そのような人たちはよほど、心根の優しい人なのか。

わたしはよほど鈍感なのだろう。

たまには現れてくれてもいいのに、と思ったりする。

 

今日は夫の月命日だ。

気持ちをこめて読経をあげてみよう。