ほめ上手



わたしは、はっきりモノを言うたちである。
YES、NOがはっきりしていて、他におもねることをしない。
一見、温和ななわたしの表情からは意外に感じられるのか。
「あんた見かけによらずきついなぁ」と同じことを何度も言われてきた。
そんな訳で、自分でも辛口のほうかもしれないなぁと思う。


7年前の実母の葬儀のとき葬儀屋の手落ちで、親族としては大変いやな思いをした。
ずっと後に残ることなのでわたしは、他の姉妹のように黙って
看過することができず原因と謝罪をはっきりその会社に求めた。
「地元で暮らすわたしたちが、あとで気まずい思いをするから」と
兄嫁は葬儀屋に遠慮して、こちらを制した。


確かにわたしは、平身低頭しシドロモドロで詫びる末端の社員が気の毒に
思わないこともなかったが、今きちんと伝えないと
また同じ過ちを犯すだろうと思ったのだ。
その後何人かの社の責任者たちが現れ、家族の体面は繕うことができたが
危機管理意識や仕事をする上でのプロ意識の欠如があることを感じた。
何事も一度損なった信用はなかなか元には戻らない。


先日の母の法要の際に従兄弟の口からその話が持ち上がった。
わたしはすっかり忘れていたけれど、あれ以来いろんなことが改善されて
良かったなどと、今は言っている。


わたしは筋の通らないこと、納得のいかないことに安易に妥協することを好まない。
しかし、他人や組織の落ち度を「鬼の首を取るように」紛糾するのも良しとしない。
いまここできちんと言っておくことが、相手の成長になると判断したときだけに
発言するのである。
「言いにくいことを伝える・・・」これも勇気のいることである。
味方も多いが敵も多いかも知れないと自分では思っている。


一方、辛口ではっきりモノをいうわたしであるが
「ほめ上手」な部分も、あると自負している。
人と会ったり、話したりその人を知る課程でそのひとの
良さが見えると、そのことを必ず伝えてあげる。


どんな人にもいい面がある。
「ネクタイの色が素敵」
「髪型が似合っている」
「発言の仕方がわかりやすい」
などなど、褒める言葉は口からたくさん出てくるし
こちらが感じたらすぐ口に出して鼓舞する。
もちろん、いい感じに思えないときは、何も触れない。


相手の意見に反論するときも、一応受け止めてから
こちらの意見を言うようにしている。
誰でも人間、否定されるのは気持ちが良くない。
多少の世辞だとわかっていても受容されたり、褒められるのは気分がいい。


相手のいいところを見る。
その良点をきちんと伝える。
それが、相手にとっては自信となり、励みになる。


子どもたちを育てるときも、たっぷり褒めてきた。
今でも親の威厳など出さす褒めることで自立心を促している。
息子や娘は、いくつになってもそれは嬉しいらしい。


職場の中での人間関係も、相手を受け入れ、褒めることで
その人が100%以上の力を発揮するのを多くみてきた。


今般、予期せぬことに「管政権」が発足した。
報道を見聞する限り、新しい党首については、野党ばかりか
評論家と称する人たちも相変わらず、あら探しばかりして批判を繰り返す。
己が偉いことを誇示したいのか、はたまた政府の諮問委員会への任命を
得るための戦略か。
見苦しい限りである。


「敵に塩を送る」という言葉がある。
たまには、余裕を持ってライバルを褒めてみたらどうだろうか。
ぐんとその人の株があがるような気がすると思うのは、
わたしばかりではないはすである。