小さな感動と杞憂

朝から突風が吹き、雨混じりのお天気である。
台風の影響で少し涼しさを感じるけれど
「大丈夫かなぁ」と昨夜から、不安だった。


今日は、初めて経験する潤平の「敬老参観日」である。
敬老の日に、ちなんで祖父母を幼稚園に招く行事らしい。
いまどきの幼稚園は、にくいことをするものだ!と
娘からの参加の打診にふたつ返事でOKした。


園のほうも、今日はお天気には悩まされたようで
無事開催できるまでドキドキした、と園長はその心配を隠さない。
何に寄らず企画する側は大変である。


わが家の潤平が通う幼稚園は
3歳児、4歳児、5歳児が通う近所の公立である。
どんな感じで、あの小さい子どもたちが、どんなことを
してくれるのかしらん?とワクワクしながら行った。


父兄ならぬ祖父母の参観は、園児ひとりに双方の祖父母と
曾祖母まで連ねての、にぎやかな家族もあった。
でも総じて、いまの祖父母は若い。
こちらは、わたしひとりの参観である。
あえてムコ殿の親には知らせなかったのだという。


冷房のきいた講堂に園児用の小さい椅子が並べられており、
お尻の痛さを我慢しての式の開催となった。


やがてかわいい園児たちの入場である。
1歳違うとずいぶん、おしゃまに見える。
2歳違うと、ずいぶん、しっかりしているように見える。


一番先に登場するのは、この春入園したばかりの年少組であり
潤平はこのクラスにあたる。


まだやっとオムツが取れたのでは?と思えるほどの
男の子や女の子が胸を張って、緊張気味に入場してくるさまは
ぐっと胸に迫るものがある。
ばぁばバカと、「笑わば笑え!」である。


潤平は、ニコニコしながら列のうしろにくっついて入ってきた。
ときどき列を離れたり、ひな壇にあがると、
降りたりあがったりする園児もおり、ほほえましく笑いをさそう。


潤平はみなが立っているなか、ひとり、かがんだりして
見ているこちらをハラリとさせる。
「先生の言うことを聞かない」
ママが心配している所以である。
それは、少しばぁばも気にかかる。


この半年間、初めて母親から離れ、集団の生活に溶け込み、
おじぎを習い、大きく口をあけて歌をうたい、手話をも入れた歌をも披露する。
みんな嬉しそうに生き生きとしている。
よくぞ、ここまで成長したものだ・・と大げさに言えば感無量の境地になる。
両となりのおばぁさん(失礼)たちも、同じような思いらしく
感動している様子が伝わってくる。


わが子の参観とは違う、また違った感情である。
アマ、アマの祖父母たちは、小さい天使たちが繰り広げる
舞や?踊りにしばし心を移し、ささやかな感動に浸った。
じいじ、ばぁばにとってのそれは、何より嬉しい贈り物に感じる。


そういう意味では、わたしもばぁばの仲間入りを
しっかりしているのだなと実感せざるを得ない。


教諭の寸劇を挟んでの1時間あまりの式典は無事終了し
迎えに来たママと一緒に帰宅した。
「上手に歌っていたねぇ」ひとしきり、ほめてやる。
潤平はさすがに疲れたのか、家に帰り昼食を済ませると
すぐに昼寝をしてしまった。


かくして、潤平の半年の決算のようなお披露目は終わったけれど
ママが懸念していた「チョケル」ことは、ちょっと心配。
だんだん大きくなると心配いらなくなるからと、ばぁばが
言ってもそうは思えないらしい。
成長の一過程での、杞憂であればと願う。