「対岸の火事」ではない、恐怖
昨夜、静岡で震度6の強い地震があった。
震源地から遠い大阪でも微震があり
リビングの吊り下げのライトが揺れ、軽いめまいのようなものを感じた。
この「揺れ」というのは、長く脳に残るのか
地震が治まったあとでもからだが揺れる。
このようなわずかな揺れでもそうなのだから被災地域のそれは、
想像を絶するものである。
阪神大震災を蒙ったわが身ながら、思い出したくない体験だ。
日本全体が震災に遭っているかのようにアメリカやヨーロッパからの
お見舞いや激励に、傍らの宿ハチさんは有り難くも戸惑いを隠せない。
しかし・・・明日はわが身である。
いつ同じようなことに遭わないとも限らない。
決して人ごとではない。
昨夜は、新聞紙を広げ足元に「底厚のスニーカー」を置き
さっと着れる服も枕元に用意した。
そして「防災グッズ」の中身も点検してみた。
数年前に地震の警戒から求めたものである。
懐中電灯と携帯ラジオが一緒になったものも
初めて、箱から出し乾電池を入れ試してみた。
ラジオをオフにすると「うう〜〜」という消防車のような
高いサイレンの音声が響いたので慌てて、止めた。
ちゃんと機能することが確認できた。
医薬品やスリッパ、ビニールシート、ウエットティッシュ、
ローソク、軍手などなど、リュックはパンパンに膨らんでいる。
あと食品では「乾パン」や「魚介類の缶詰類」がある。
インスタントのカップ麺もあったほうがいいかもしれないけれど
今さら、急ぎはしない。
食べ物は消費期限付きだが大丈夫か?
水は1ケース、押入れに眠ったままである。
「東日本巨大地震」は日を経るにつれ、様々なことが明らかになっている。
今朝のY紙の朝刊には「津波、大堤防が消失」「まさか来るとは」の
大見出しで人間の思い込み、危機意識を憂慮している。
ある地域の犠牲者の多いことに関して
「地震発生から津波まで30分はあったのに、どうして?」と
少なからずわたしも疑問を抱いていた。
記事によると「世界一の堤防があるから大丈夫」
「津波は○町まで来ない」が住民の常識であり
思い込みがあり、避難しなかったことが
犠牲者の拡大につながったのではないか、という。
国がお墨付きをつけた堤防ならば安心するのは当たり前である。
ある学者は「過去の経験から学ぶことは大事だが、
災害イメージを固定化してしまえば逆に危険性が増す」といい
数十年前はこうだったという経験則は、自然災害では成り立たないと
警告も促している。
災害は誰の身にも降りかかり、予測ができない。
正しい情報と、日ごろの危機管理意識を持っていたい。
『生は寄なり。死は帰なり』―夏后氏―