フランス映画「黄色い星の子供たち」

昨日は敗戦記念日だった。
わが国では8月15日は“終戦記念日”と呼び「敗戦」を用いない。
右寄りでも左寄りでもなく、しかも戦後しばらくして
生まれたわたしは、日本は無条件降伏をしたのだから
敗戦という呼称がふさわしいのではないかと思っている。


どちらでも良いようなものだが
言葉は思索の基礎であり、物事の出発点なので少々こだわる。


この大戦ではすべての日本人が何らかの形で
被害者だったのはないだろうか。
今は亡きわたしの父も徴用され、戦争の話を
子どものころ度々聞かされた。
しかし小学生だったわたしには、さほどの関心もなく
一生懸命語る父の言をいい加減に聞いていたところがある。


我が家は父の兄(伯父)が戦死しており
今にして思えば、もう少し真剣に「父の戦争に対する思い」
など聞いてあげればよかったと思う。


毎年酷暑の時期のマスコミには、原爆や戦争などの回顧ものが踊る。
そして必ずや近隣諸国から、日本の侵略やら不法行為
とがめる声があがって、反省が求められる。


こうした現象は欧州にも見られるようで、戦後一貫して
ドイツ・ナチスユダヤ人虐殺(ホロコースト)に関して
追求と回想が続いている。
アンネの日記」をはじめ「シンドラーのリスト」や、
古くは、V. フランクルの「夜と霧」,「ナチス親衛隊アイヒマン」
など数多あり、さらに映画ではどれだけ多くあったのか
わたしには不明だ。


そうしたなか昨日、フランス映画「黄色い星の子供たち」を観た。
ひどい事が花の都パリでもあったのだ。
そこでその映画を当該サイトから紹介したい。



1942年夏。パリでおこなわれた史上最大のユダヤ人一斉検挙。
家族と引きは裂かれながらも過酷な運命に生かされた
子どもたちの真実の物語である。


50年もの間、公式に認められなかった事件がある。
1942年にフランス政府によって行われた、史上最大のユダヤ人一斉検挙だ。
1995年にシラク元大統領がフランス政府の責任を認めるまで、
事件はナチスドイツによるの迫害のひとつだと捉えられていた。
歴史の陰に、知られざるもうひとつの暴挙が隠されていたのだ。
いったいフランスは、何をしたのか?
何と引き換えに何を目的に、罪のない尊い命を差し出したのか?


ナチス占領下のパリ。
ユダヤ人は胸に黄色い星をつけることが義務付けられた。
11歳のジョーは、星をつけて学校に行くのが嫌だったし、
公園や映画館、遊園地への立ち入りが禁じられたことに腹を立てていた。
何かが変わろうとしていることは、わかっていた。
それでもジョーと家族は、ささやかな幸せがつづくことを信じていた。
フランス警察の荒々しいノックの音に、たたき起こされるまでは。


1942年7月16日、夜明け前のパリで始まったユダヤ人一斉検挙。
子供も女性も、赤ん坊さえも、1万3,000人ものユダヤ人が
ヴェル・ディヴ(冬季競技場)に押し込められ、
5日間、水、食料もなく放置された。
自らも検挙されたシェインバウム医師が一人で、
人々の治療を引き受けていた。


そこに赤十字から派遣された看護師のアネット・モノが加わるが、
とても追いつかない。
だが、それは信じ難い出来事の、ほんの始まりに過ぎなかった。


監督は元ジャーナリストのローズ・ボッシュ(女性)である。
プロヴァンス地方に生まれる。20歳の時にパリに移り住み記号論を学ぶ。
14年間のジャーナリスト生活ではブラジルの飢餓、バングラディシュの洪水、
続いて本作「黄色い星の子供たち」の製作準備に着手。
夫でもあるプロデューサー、イラン・ゴールドマンと共に
5年の歳月をかけて完成させた。



監督とのインタヴィユー
■この映画を作るきっかけを教えてください。
数年前にこの一斉検挙の話を聞いてから、ずっと心から離れませんでした。
それでも長い間、この作品に取り組むことに悩みました。


果たして、人間性を保ちながらこのような残酷な事実を理解することができるのか? 5歳児を含めた子供たちをどのように演じさせたらいいのか?
目をそむけることなく、しかし"不寛容"な見解も持つ事なく、
真正面から撮影することができるのか?


1万3千人の検挙者のうち25人の生存者しかおらず、
4051人の子供たちは誰も生還していないにも関わらず、
どのように生存者を見つけ出すのか?
暴力を歪曲することも昇華させることもなく描くことができるのか?
フランスの"正義の人"、ユダヤ人の子供たちを助けに来た人たちを、
ただ単にフランス人の良心を描こうとしていると思わせることなく
正当に評価できるのか? など、何度も自問しました。


ある日、4年前のことですが、夫イラン(*プロデューサー)に言いました。
「生存者に会えるという条件つきであれば、この作品を作りたい、
なぜなら死でなく生を語りたいから。過去ではなく未来を語りたいから」と。



シラク大統領時代に公表された事実であるので、
この事件は知られていない。
もちろんわたしも初耳である。


観るに忍び難いシーンもあったが、人間の異常性が
猛威を振るった過去を知ることは大切である。
しかし「死でなく生を語りたいから。過去ではなく
未来を語りたいから」という監督の言には頭が下がる思いである。


せつなさと涙なくしては観られない映画
時代の真実を知る上でお勧めしたい。



鹿の子ゆり