旧いモノを見直す

家にいることが多いと、だんだんおしゃれ心が薄れる。
からだを締め付けない楽な服装を好むようになる。
若いころは、部屋でくつろいでいても着るものには
頓着していたような気もする。
年齢のなせる業か不精に拍車が、かかり
最近はとくにラフなスタイルが多い。


久しぶりに外出をすると、着るものに困る。
ふだん緊張感のない生活をしているせいで
とっさに服のコーディネイトを思いつかないのだ。


毎日出勤していると否が応でも服のことを考える。
そのことから遠ざかったいま、服へのこだわりも以前ほどではなく
正月を過ぎると目の色変えてブティックや百貨店のバーゲンを
はしごしたのは、昔の話し。
最近はセーターの1枚も新調していない。
コートやブーツなども論外で、アクセサリー類もしかりだ。


負け惜しみではないが,あまり欲しいと思わなくなった。
「物欲」が少なくなり、年齢とともにその傾向が強くなる。
「欲しい」と強く願うものがないというのは、消費を抑える分、
楽だが愉しみも半減したようで寂しい。


最近のファッションの傾向は、カジュアルが主で
素材もかつてほど重厚ではなく価格帯も抑えられているものが多い。
飽きたら惜しげもなく捨てられる感がある。


セーターなど新調しない分、どうしているかと言えば
若いころに着たモノを引っ張りだしたりしている。
時代にそぐわない、と粗大ゴミ寸前だったものをかろうじて生息させていた。
いま頃、それらの出番が来ようとは神様も予想していなかっただろう。


アンゴラ、カシミヤ、モヘアなどざっくり編んだ
セーターは、いま見てもおしゃれに感じる。
そして暖かい。
「いいものを着ていますねぇ」などと、褒められる始末である。


先日など、シニア・ナビのサークルで京都散策したとき
キャメルのロングコートを引っ張りだして、着た。
10年以上も袖を通していない代物で
ダウンコートが軽くて重宝される今、魔法使いのような
純毛の、ぞろ〜んと長いコートなど、誰も見向きもしない。


それでも寒さ対策に着込んだのは正解で、少し歩きにくさを
我慢すれば底冷えのする京都では、充分過ぎる暖かさを提供してくれた。
「旧いモノ万歳!」である。


「掘り出し物はわが家にあり」である。
旧いモノを探して愉しんでいる。