真夏のチマキ

わが家の冷蔵庫は満タンである。
いまの季節、チビたちのためにチュウチュウ(幼児の氷菓子の一種)が
幅をきかせていたり、大人のためのアイスもたっぷり占めている。
そして毎週末、新鮮な野菜や果物と魚類が仲間に
なるからよけいに賑わうのだ。


一匹買いした魚は、わが家で調理していて
スズキ、ハマチ、タイ、ブリ、カツオ、ハモなど旬の魚を
お造りにしたり、タタキにしたりして食しているが
なにしろ一匹買いなので、余ってしまう。


片身を近くの子どもたちに「取りにおいで」と言っても
最近は、さほど喜びもせず、取りにも来ない。
まったく愛想のない子どもたちである。


車で30分ほどの距離に住む実姉は義兄といっしょに喜んで取りに
来てくれ毎回「おいしかったわ〜」と感想まで述べてくれるから
上げ甲斐(?)があるというものである。


余った切り身は、焼き魚用や鍋物用に冷凍する。
こうして残った魚が満杯になるのである。


さすがに冷凍庫に入りきれなくて、以前から
奥で眠っているモノを引っ張り出し、整理した。


そのなかに、5月に実家から送られた「チマキ」が2本あった。
20センチ大のそれは、けっこう場所を取るので、1本だけ冷蔵庫に移した。
果たして今の時期、食べるかどうかわからないのに、である。
おまけに解凍したチマキを食べるなんて経験がない。
「まずくならないのかしら?」
「蒸したほうがいいのかしら?」などと思って冷蔵庫に
いれたままにしておいた。

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画像は撮り置きしておいたもの。


そうした折、週末を一緒に過ごしている宿ハチさんが
「よそのお宅の茶席で恭された京果のチマキがおいしかった!」と
言うではないか。
「それなら、わが家にもあるわ」と、解凍したチマキを3時のおやつに
食べようと言うことになった。


チマキは、うまい具合にフワフワと柔らかくなっている。
「このままでもいいのかしらん?」
よくわからなかったけれど、とりあえず切って器に盛った。
都会育ちで、珍しがりやの宿ハチさんは「うまい、うまい!」と
1本平らげてしまった。
そういえば昨年もおいしいといってくれていた・・・。
あ〜あ〜捨てなくて良かった。
思えば親不孝ばかりしているわたしである。
子どもたちに感謝がないなどと、言える立場ではない。


わが故郷のチマキは、毎年5月の節句の前後に義姉が送ってくれる。
亡き実母が、味噌などと共に教え込み
義姉はそれを律儀に守り、作ってくれるのだ。
とても手間のかかる作業である。
良質の竹の皮を手に入れてひと晩水につける。
一方でもち米も水に浸し、桐の灰汁も何かの方法で処理する。
そして外に釜を設置して、薪を焚いて蒸すのだ。


桐の灰汁(あく)で、もち米を蒸したチマキは、色こそ
茶色でおいしそうには見えないけれど
食の豊かではないころの保存食だったのだろうか、腹持ちがいい。
きなこや、黒砂糖とまぶしたり、お醤油にそのまま
つけて食べると素朴な味が口に広がる。
醤油も田舎地産のほうがよく合う。
わたしは、煮物などに使う醤油も
故郷のものをネットで買っている有様だ。


母が健在の頃は自分が育てた採りたて野菜と一緒に
宅配便で毎年送ってくれたものである。
最初は好きでなかった夫も、だんだんその味に慣れてきて
5月になるとその「チマキ」を楽しみに待つようになった。


子どもたちは、相変わらず見向きもしない。
いまは宿ハチさんが目を細めて、食べてくれる。


「親の思い」などというものは、健在なころにはわからないものである。
いまごろになって母の味を懐しんでいる私がいる。


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もう、おみなえしが咲きました。ツマグロモンヒョウ蝶(雄)