天高く・・・

日中の日差しは相変わらず厳しいが、
朝晩の風に秋を感じるようになった。
早朝散歩もひんやりと心地よく、木々の匂いとともに
夜明けの虫の合唱が、耳に心地よい。


もうすぐ子どもたちの夏休みも終わる。
昨日など、わが住居の中庭はひっそりしていた。
朝からどこかへ集団疎開でもしたかのように、子どもの姿がない。


夏休も終盤になると、かつてのわが家もそうだったが、
宿題に追われ、親ともども付き合わされる。
いまそんなことから解放されて久しい。
そのうち孫たちに、ばぁばの知恵も駆り出されるだろう。
そんな日も遠くない。


夏の終わりと秋の始まりは、モノ想う季節でもある。
きつい陽と涼風を受けて、運動会のことをちらりと思い出したりする。


新学期が始まると、どの学校も運動会の準備にはいる。
近くの小学校からは「剣の舞」や「天国と地獄」
「星条旗よ、永遠なれ」などの行進曲や
賑やかな音楽が聞こえて来て、練習に励む児童たちの
元気いっぱいの姿が目に浮かぶようである。


「運動会」は、子どもにとっても親にとっても気恥ずかしい晴れ舞台だ。
徒競争の苦手なわたしも、運動会というとやはり心が躍っていた。
フォークダンスなど今思っても胸キュンものだ。
あの「マイムマイム」の曲など今でもいいなぁと思う。


午前中のプログラムを終えると、家族を探し、一緒に昼食を摂る。
どこも似たようなお弁当で、重箱にはおにぎりの他に
いなり寿司、巻きずし、煮物など祭りのように
どっさり詰め込まれている。


ご飯を食べ終わると銘々に果物などのデザートを食べる。
ふだん質素なおやつしか口にしないわたしは
出店のアイスクリームを堂々と買いに行くことができる。
しかし一番のおやつは、青い香りのするみかんだ。
それは緊張した、からだと乾いた喉に
たっぷりの潤いと元気を与えてくれる。
まだ色づいていないみかんの匂いは、反射的に運動会と直結する。


わたしの故郷ではこの時期、どの家庭でも「落花生」を作っていた。
畑から引き抜いたそれは、何日か陽に干したあと殻を破りフライパンで炒る。
ピンク色をしたピーナッツの生々しく香ばしい匂いは忘れ難い。
大人になってからは、この匂いを嗅ぐことはめったにない。


運動会の思い出は、日に焼けた母の顔と重箱のお弁当と
酸っぱいみかんの香りと、炒りたて落花生だ。


そういえば、おしゃれな猫さんが運動会には「足袋」だと
ブログに書いていた。


わたしは、どう思い出しても運動会に足袋が出てこないのだ。
たぶん、裸足で走りまわっていたのではないかと思う。
似たような世代でも住む地域が違うとずいぶん違うものである。


午後からの気だるい時間・・・
見るともなく民主党の代表選のテレビを聞きながら
パソコンに向かっているとチラホラと、子どもたちの声が聞こえる。
賑やかな歓声に何となくほっとしているわたしである。


代表選で新代表は、野田氏に決まったようだ。
これから日本はどう変わり、変わらないのか・・・
秋の始まりに、政治もまた気持ちを憂慮する。