文明の利器よ、どこまで?

朝の散歩の時間が、ずれている。
夏真っ盛りのころは、1分でも早く家を出ないと陽が昇り、大汗をかく。
なるべく早く家を出なければと急いでいた。
いまの5時は、まだ暗い。


[:w]


夜が明けるのを待ち構えるように外に出る。
湿った川面からの風を思い切り吸うとまだ、残暑のなごりがある。
草いきれの、青臭い匂いが好きだ。
涼やかな虫の大合奏が耳に心地よい季節になった。


1時間、散歩の時間をずらしただけで、行きかう人の顔ぶれが違う。
犬の散歩も多いが、出勤途中の人が増えている。
同じ時間に、川沿いをミニバイクで走行している男性とすれ違うようになった。
彼はいつも片手で運転し、携帯電話らしきものを覗いている。
危ないなぁ。


走りながら携帯を覗かなければならないほどの用事って何だろう?
朝の慌ただしい時間帯の走行中に、そんなことに気を取られ
事故でも起こしたらどうするのだろう、と要らぬ心配をする。


文明の利器の発達は、めざましい。
スマホやipadが、ますます重宝されるようになり
モバイル通信は、いまや若者だけの特権では、なくなっている。
仕事を離れたシニア世代にも多く普及しつつある。


訪れたい飲食店やアクセスなど出先で困ったときのバイブルにもなり、
外にいても好きな時にネットにつながるモバイルは、
無くてはならない存在のようにCMで煽る。


便利な世になったものである。


持てる者と持たざる者との差が出るデジタルデバイスは、
災害などの危急時には、大きく違うのかも知れない。


通勤車内では、携帯の使用を禁じられているにも関わらず、
画面とにらめっこしている人のなんと多いこと。
文庫本や新聞に目を通している人が少なくなった。


わたし自身は、携帯電話も要らないと思うほど使用頻度が低い。
いつもカバンの中に仕舞ったままで、電源切れになったり
たまに電話などがあっても役に立たないこともある。


携帯メールも、ほとんどしない。
使わない一番の要因は、文字入力が面倒なこと。
文字を探して打つことの苦痛・・・
キーボードなら目を閉じていても打てるものが
携帯はまどろっこしくて、胃が痛くなるほどのストレスを感じる。
わたしは根っからの不精者である。


ゲームもしかりだ。
わが家の5歳児もご多分に漏れず、誕生祝いで、ねだり
最新版のゲーム機を買ってもらった。
父親は、時々一緒になって遊んでやっているが
「長い針が9になったら・・・」と、
時計を見るようになった潤平に厳しく、時間を守らせている。


わたしも、たまに機器のひとつを持たされ、相手をさせられる。
画面を見ながら操作することを潤平に教えてもらった。
しかし、あの金属音と騒音が嫌いなのと単調なのとで飽きる。


まったくあのゲームは、わたしにとっては拷問にも等しい。
まだ肉体労働でお馬さんなどやっているほうがマシだ。
ヘンなものが流行るものだ。


潤平もかえでも、「トムとジェリー」などのアニメを
ママのスマホで見ることがある。
電磁波などの影響もあるから、あまりバァバは感心しない。
ママと、とーちゃんは、妥協しながら二人の管理をしているようである。


長い夏休み、かつてのように外で真っ黒になって遊び呆ける時代は過ぎたのか。
エネルギーの塊の幼児の世界にも文明の利器は登場し、とどまることを知らない。


便利さの裏側には副作用がある。
文明の利器の功罪を思う。