知人からサイドボードをいただいた。
引越しのため二つあったサイドボードの一つをもらってくれないかという。
なるべくモノを増やしたくないわたしは、
迷ったけれど、頂くことにした。
作品展出品「奈良の浮き見堂」額に入れたら少しは見れる^^
マホガニー製の重厚な造りでインテリアにもなりそうだ。
いい感じである、気に入った。
されどわが家には、年代物のワインもお酒も
そして飾るほど値打ちのあるグラスもカップもない。
30年以上わが家に鎮座している本棚を思い切って処分することにした。
愛着あるが仕方がない。
背の高い本棚は、昨今の地震対策のひとつにもなる。
こちらも思いきって処分することにしたが
でも、全部は捨てられない。
分類して、残す本をサイドボードに収めることにした。
長年愛読してきた書籍を手放すのは寂しいが、いつかはしなければならない。
夫も本好きであり、おまけに闘病が長かったので
読むことで、ずいぶん慰めになったことだろう。
高杉良の企業小説を含め、その数たるや、膨大だ。
まずは引っ越し用の大きめの段ボール箱を3個用意し
1・手元に置いて置きたい本、読み返すかも知れない本
2・書店のカバーがついているきれいな本、ハードカバーや文庫の類
3・完全に処分したい古い本、これからも読まないだろう本。
に、大ざっぱに分けた。
たとえば昔、販促の仕事をしていたときのレタリングや
イラスト、カット、文字(勘亭流など)の書籍などだ。
悩みながら机に向かい、仕事を通して産みの苦しみや
楽しさや、達成感を味わった。
表紙も汚れて、破れそうなものもある。
経済的にも潤い、一時代を風靡したものでいま、役にも立たない代物だが、
もうしばらく傍にいてもらいたい気もする。
ページをめくるとかつての内面の懊悩が甦る。
いまの安穏とした生活とはまるで違う時代があったのだ。
何で今さらこんなしんどい世界に身を置いているのかと
思うこともあったがそれを上回る学びがあり、喜びがあり
交流分析などでは、己の生き方がずいぶん変わり成長できたようにも感じる。
わが内面の転機とも言える。
はっきり、自己表現や、自己主張をするようになったことは
自己改革に等しく、そのぶん精神面で楽に生きられるようになった。
またひも解いてみたい気がする。
特に感化を受けた森瑶子の本は一番多い。
さらりとした透明感のある文体が好きで
精神と経済の自立を謳い、奔放に見える彼女の生き方にあこがれた。
実際は亭主関白なイギリス人の夫を持ち
そのことが彼女の寿命を縮めたのではないかと思えるほどの
家庭環境に身を置いていた。
何が幸いし、危ぶのかわからないものである。
乱読のわたしにふさわしい何でもありの、他・諸々の作家群。
ハードカバー、文庫・・・
少し年齢を経て向田邦子、
この時代の作家の語彙や表現力の豊かなこと。
膝を叩いて共感し、深く心に沁み入る。
年齢を経たからこそ、頷けるのかも知れない。
取り憑かれたように漁って、読んだ。
比べたら各段の差がある。
図書館で借りていることもあり、手元には少ないが
こちらも捨てがたい。
1番が生き残ることになり、
2番は、読みたい知人にあげたり、ブックオフに引きとってもらうか・・・。
(タダで良い)
3番は、粗大ゴミ行きである。
色々と内面の手助けをしてくれて・・・
書籍の断斜離は、身をそがれる感があるが仕方がない。
ようやく婿殿と娘の力を借りて粗大ごみに出すことができた。
ひとつずつ、身辺を軽くしよう。
サイドボードはそのきっかけになり嬉しい。
コメント蘭が開かない、入れないなどの意見もあるので
試しに認証制を解いてみた・・